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- 5月17日 (土)
- YS-11初飛行
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戦後、日本での航空機の研究や製造は、GHQにより禁じられていました。しかし、昭和32年に製造禁止が解除されると、政府は国産旅客機製造の計画を発表。航空機産業が盛んだった名古屋を中心に、機体メーカー6社が集まり、その完成を目指しました。そして、昭和37年、数々の苦難を乗り越え、その試作機が出来上がりました。全長26.3メートル、幅32メートル、定員60人の中型旅客機は、8月30日、小牧の名古屋空港を離陸。伊勢湾をめぐるおよそ1時間のフライトに成功したのでした。
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- 5月10日 (土)
- 昭和の岩窟王
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昭和38年。名古屋高等裁判所(現名古屋市市政資料館)で、歴史的な判決が下されました。強盗殺人事件の主犯として起訴され、一審で死刑宣告を受けながら、50年間も無実を訴え続けてきた吉田石松さん。その姿は、「昭和の岩窟王」と呼ばれました。その吉田さんに無罪判決が下されたのです。その時、吉田さんは83歳になっていました。判決から9ヵ月後、吉田石松さんは老衰のため永眠しました。
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- 5月3日 (土)
- ゴリラショー
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昭和38年。東山動物園で世界で初めてゴリラが芸をするショーが始まりました。ゴン太、プッピー、そしてオキ。3頭のゴリラは20以上もの芸を披露して、日本中の人気者になりました。調教をしたのは飼育員の浅井力三さん。繊細で病気になりやすいゴリラを朝から晩まで辛抱強世話をしたのでした。3頭の中でオキだけが今も動物園で生きています。国内最高齢の推定52歳。孫のような子ゴリラに寄り添って日向ぼっこをしています。
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- 4月26日 (土)
- ミニスカート流行
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昭和42年。イギリス生まれの一人の少女が名古屋にやってきました。愛称「ツイッギー」。ミニスカートの世界的流行を生んだ元祖スーパーモデルです。名古屋でもファッションショーが開かれ、会場となるデパートは十重二十重に取り囲むファンの女の子たちの熱気で満たされました。高度経済成長期の真っただ中に流行したミニスカート。景気がいいとミニスカートが流行る。そんな言葉まで、生みだされました。
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- 4月19日 (土)
- 地下鉄開通
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昭和32年。東京、大阪に次いで、日本で3番目の地下鉄が開通。名古屋・栄町間の2.4キロ。大人15円。栄ではアドバルーンが上がり、町中で開通を祝いました。開通の日、一日だけで、当時の名古屋の人口の1割に当たる13万人が乗車しました。当時の車両、鮮やかな黄色の車体は、今、愛知県日進市のレトロでんしゃ館で会うことができます。
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- 4月12日 (土)
- 名古屋城再建
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天下普請で造られた天下の名城名古屋城は昭和20年の空襲で全焼しました。戦後、その再建を願う市民の機運が高まり、昭和30年から本格的な再建事業が始まりました。お城のシンボルともいえる金シャチは大蔵省大阪造幣局に依頼して製作。その雌雄二体が相次いで名古屋入りした際、市民は総出で出迎えました。そして昭和34年8月、多くの市民に見守られながら、金シャチは天守の屋根に戻り、14年ぶりの雄姿を再び名古屋の街に現したのです。
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- 4月5日 (土)
- 東海テレビ開局
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開局から50周年を迎えた東海テレビ。昭和33年12月の開局当時は、地上3階、地下2階で、スタジオは2つでした。現在のVTRと違いフィルムによる取材。多くの番組が生放送でした。テレビの普及率がまだ低かった当時、PRカーがパレードし、新しいメディアの登場を人々に告げました。
以来、半世紀、本格的なデジタル時代を迎えた今日に至るまで、一日も休まずにこの地方の『今』を伝え続けています。

