高井アナの空言舌語

東海テレビアナウンサー高井一が、正しい日本語の読みや、謂れをご紹介します。

2009/6/1
百六十二、
可能性
 最近の大ニュースは新型インフルエンザと北朝鮮の核実験です。テレビ・新聞ともに連日大きな扱いですが、ふたつのニュースで「可能性」という言葉が安易に多用されていました。
 新人の頃に先輩から「『可能性』は将来、現実になる見込みのことで期待感も伴う言葉である。よい出来事に使って、悪い出来事には極力使わない」と教えられました。フジテレビ系列の放送用語ハンドブックにも「全員絶望の可能性→全員絶望の恐れ」と言いかえ例が記載されています。
 インフルエンザや核実験の新聞記事に登場した「可能性」のうち、「恐れ」に言いかえられるのは「感染の可能性がなくなるまで、外出は控えて下さい」「秋以降にも感染が広がる可能性」「今後短期間で核兵器の弾頭化実現に至る可能性も」など、結構見つかりました。
  また、「乗客の女児が感染した可能性」「患者と接触した可能性が高い」「禁輸物品を積んでいる可能性がある船舶への臨検」などは「疑い」と言いたくなります。
  そのほか「ウイルスが変異する可能性」は「危険性」に、「持病がある人は重症化する可能性」は「傾向」とするほうが「変異」「重症化」と整合性があると思えます。
  「将来、起りうる見込み」という本来の意味を超えて、「高齢者に感染が少ないのは、1957年以前に類似した型のウイルスに感染していた可能性があり…」のように過去の出来事にも「可能性」が使われていました。どうにも釈然としません。
 インフルエンザも北朝鮮の核実験も実態がよく分からないだけに、こういう時に「可能性」は便利な言葉です。以前から、意味の守備範囲が広い便利な言葉は、他に的確な表現がないかよく吟味すべきだと、繰り返し述べてきました。「可能性」も典型的なそんな言葉です。
  よく吟味すれば抽象的で意味の広い「可能性」よりも、「恐れ」「疑い」「見込み」「見通し」「傾向」「実現性」など、より具体的に説明できる言葉がある筈です。まずはメディアが、表現の多様性を示さなくてはならないと思います。