二百三十四、
2012/10/12
熟語の読み
尖閣諸島に関する政府の方針「何人も上陸は認めない」を、他局のアナウンサーが「ナンニンも」と読んでいました。それでは一人なら上陸しても構わないことになってしまいます。正しい読みは【誰であろうとも】の「ナンビト」です。何か事情があっての勘違いでしょうが、これは他人事(ヒトゴト)ではありません。
ひとつの熟語に読み分けがあり、それぞれ意味が違う語は少なくありません。同種のミスをしないように、紛らわしい熟語を洗い出してみました。
分別=「フンベツ→道理をわきまえる」
「ブンベツ→分類する」
苦汁=「クジュウ→苦い経験」
「ニガリ→海水から製塩した後の液。豆腐製造に使う」
気骨=「キコツ→気概」
「キボネ→気苦労・心配」
身上=「シンショウ→財産・暮らし向き」
「シンジョウ→一身上のこと・とりえ」
これらの例ほど明確な違いがあればいいのですが、「市場=シジョウ・イチバ」「渡船=トセン・ワタシブネ」「草原=ソウゲン・クサハラ」などは違いが微妙です。どちらで読むべきか迷うことがあります。
川端康成の「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」は、「コッキョウ」か「クニザカイ」か、いまだに論が分かれています。昭和初期の東海林太郎のヒット曲「国境の町」は、曲名は「コッキョウ」なのに歌詞では「クニザカイ」と、言葉の雰囲気を使い分けています。
熟語は話し言葉になると、読み違いがひとつあるだけで、文全体の表現を台無しにすることもあります。熟語の読み分けには気を抜けません。「皆が使っているから」「どこかで聞いたことがある」「たぶんこう読むのだろう」など、安易な判断は禁物です。
熟語は音訓の読み分けに常に気を配り、読み方によって変わる意味・内容に注意を怠ってならない。改めて肝に銘じました。