life is beautiful2〜小さないのちの詩〜 topへ戻る

25歳の母親はそうカメラに語ってくれました。
南オセチア共和国―平和の祭典であるはずの北京五輪の最中に、その場所は戦争に巻き込まれてしまいました。その時、この母親は大きくなりつつあるお腹を抱えて、地下室へ逃げ、その後、山まで逃げて行ったと言います。今なお生々しく戦争の爪痕が残る市街…。生まれてくる我が子が通うはずだった幼稚園も爆撃を受けてもうありません。8月以来、暗闇で寝るのが怖くなり、小さな物音でもすぐ目が覚めてしまいます。
“不安と恐怖” そして迎えた出産の時―。
彼女はただただ産まれてくる我が子に平和な世界があることを願っています…。
果たしてこの命の先にはどんな世界が待っているのでしょうか?

*ロシア軍の警戒体制がまだ解けていない、テロの危険を孕んだ南オセチアへの日本のテレビ取材は今回が初めてになります。そこで見た私たちの知らない世界…。戦争とは遠い過去のことではなく、今ある現実でした。

20歳の母親は大きなお腹をさすりながら、今日も畑で農作業に励んでいました。汗で塗れた笑顔で夫と一緒にその日を楽しみにしています。
ベトナム・タイニン省―。ホーチミンから車で90分のその街は、あの忌まわしい戦争でもっとも強く枯葉剤攻撃の影響を受けた地域でした。40年近くも前の戦争…。しかし、そこに住む者にとって、それは過去のことではありません。戦争から数えて4世代目の命が誕生している今も、そのダイオキシンによる遺伝異常は残り、この新婚の夫婦は我が子に忍び寄るその陰に苦しんでいました。戦争を経験している祖父は語ります。「とにかく元気な子供が生まれて欲しい…」と。

慎ましくも幸せな家庭に忍び寄る影。夫婦で力を合わせれば、どんな困難をも乗り越えることが出来る、彼女たちはそう信じています。この家族にはどんないのちの物語が待っているのでしょうか。

岐阜県に住む臨月を迎えた34歳の妊婦は、大きなお腹を見つめながら、こう語ってくれました。少子化や不妊という問題が大きく取りざたされる今の日本で、その母親は懸命に新しいいのちを産み出そうとしていました。彼女にとって今回の出産は3度目の経験です。長女は4歳になりましたが、生まれてきた時、肺葉外肺分画症という肺がもう一つ出来てしまう難病にかかっていて、生後すぐに手術を受ける…という難産でした。(現在は後遺症もなく、順調に成長しています) 二度目の出産には悲しい結末が待っていました。妊娠16週で突然の死産…。痛みや出血などの自覚症状がなく、それは突然付きつけられた死亡宣告でした。陣痛促進剤をうち、産道を通して死亡してしまった胎児を出産。彼女のエコー写真や母子手帳は今も大切に保管してあります。
そして迎えた3度目の出産の時…。そして、今回この取材を受ける決心をしました。それは、不妊や流産など出産に不安を抱える他の母親に勇気や希望を与える存在になりたい…、そんな想いからでした。彼女の3度目の出産、その時彼女は、家族は、一体何を思うのでしょうか?