16 かとうかず子さん(宗形まりえ役)

――家に縛られた人生

 まりえは家から出ることもなく、“傍観者”のような立場でした。でも可哀想なところもありました。息子の勝は問題が起こるたび、自分に相談することなく、父親の愛人である秀ふじさんのところに行ってましたから。ただ、勝はまりえに冷たいのかと言えば、そういう話でもないんです。勝は勝なりに世間知らず、苦労知らずの母親を面倒なことに巻き込みたくない、という気持ちもあったと思いますね。

 まりえはひたすら“家”というものに縛られている人。出ていこうにも出られなかったんでしょうね。他に行く場所がないから。この物語の時代設定は今から一昔前ですが、現代でもまりえのように家というものに縛られ、自由に生きられない人っていると思います。まりえはまさにそんな人たちの代表なんです。当然、時代や土地柄も影響していると思います。東京と違って、誰かが目立つことをすると、翌日にはもう町の誰もがそれを知っているような“コミュニティー”というか。かつては日本各地にそんなところがあっただろうし、今だって続いているところはあるんじゃないしょうか。

――強力な“引力”のある作品。その理由は…

 物語の始めのころのまりえはきっと、「お父さんは何を考えているの?」と思っていた でしょうね。自分がどこからか連れて来た娘をいつしか一人の女性として愛し、あろうことかその母親と心中してしまいましたから。会社を傾かせて、その責任をちゃんと取らないところは、私からすれば男の無責任さをこれほど物語っている生き方はないと思いますが、その全ての始まりは“桜”ですよね。名所を巡るほど桜が好きでなければ、桜子と会うこともなかったでしょうし、桜の移植のために財産を使い尽くさなければ、会社が潰れることもなかったですよね。

 この作品の展開や人物造形に正直、リアリティはないと思います(笑)。でも、だからこそ観る人をグイグイ引き込む力があるんですよ。明美が登場したところで、演じた(中澤)裕子ちゃんの熱演は真に迫るものがありましたけど、明美が大阪弁だったのがとても良かったですよね。視聴者の方の中にも明美に共感した人は多くいたと思います。でももし彼女が上品な標準語でしゃべっていたら違うはずですよ。明美の切羽詰まった感じが大阪弁だとものすごく伝わったんです。秀ふじさんだってそう。その発言は、実はかなり毒があるけれど(笑)、柔らかい関西弁、秀ふじさんは“大阪弁”でなくあえて“関西弁”と呼びたいイントネーションのおかげで全部、中和されてしまうんですよね。

――生きた“証”があればいいと思う

 中島(丈博)先生の作品に出演させていただき思ったのは、セリフの中に、今はあまり使わなくなった単語や、美しい単語がたくさん散りばめられていて、その一つひとつが耳に残るということ。まりえのセリフにも「何ちゅう、おぞましいことを」とか「何ちゅう、ハレンチなことを」というのがよく出てきましたけど、“おぞましい”とか“ハレンチ”なんて、今では日常会話であまり使わないですよね。ところがこういう単語こそ、まりえの心情を端的に物語っているんですよ。

 まりえの、育ててきた娘が“女”になり、そのことで家のバランスが崩れてしまうのではと、女の勘で感じ、桜子に辛く当るようになる心情を表現すること。まだ同世代の女優さんではあまりやっていない80代までを演じたこと。この作品ではこれまでやってないことに挑戦させていただき、そこに楽しみを感じていました。もし、この作品の中で誰でも好きな人物を演じられるとしたら、沙也香に魅力を感じます。彼女の桜子に対する嫉妬心とか、性格が変わっていく様とかすごく説得力があると思ったので。さきほどこの作品にリアリティは…、と言いましたけど、沙也香で考えると、この作品にはリアリティもしっかりありますね。今、気づきました(笑)。

 まりえの人生が幸せだったのか、不幸だったのか私には分りません。でも思うんですけど、幸せとか不幸とか、その人が救われたとか救われないとか、そういうことは生きる中でそう重要なことではない気がします。大切なのはただ一生懸命に、がむしゃらに生きること。人生を振り返ったとき、懸命さこそがその人の生きた“証”になっていると思います。まりえにもまりえなりに“証”がいくつかあっただろし、私自身もいろいろな“証”を残せるよう、これからも毎日を生きていきたいと思っているんです。

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