- ――見つめ直し、清算した第一部
-
章吾にとって第一部は、色々なものを糧にしつつ、もう一度自分のことも、親のことも、そして礼子のことも見つめ直して、終わったようにと思います。章吾は「善人」だというポジション上、きれいごとを言うことが多いのですが、母親が生きていたり、自分が聖人に対してやってしまった過去の行為に目を向けたり、章吾にとってインパクトのある事件が次々と起こったことで、自分の信念や理屈がとっぱらわれた状態になり、一人の人間として“固さ”が取れてきたのではないでしょうか。
礼子と聖人の関係だけの話だったら、きっと章吾の反応も違っただろうと思いますが、死んでいた母親が生きていたことなど、章吾だけでなく人間として誰しも受けるような衝撃を受けている中で、全てを見つめ直し、全てを清算しようと思って、聖人と対決することになったのだと思いますね。 聖人とのラストのフェンシングシーンは、面をつけずに、しかも真剣で行っています。ワンカットワンカット時間をかけて撮ったので、大変でした。
- ――母親に会わない辛さ
-
章吾は死んでしまう母親に会わないという選択をしたのですが、演じていて、とても辛かったです。僕自身は母親に育てられたのですが、どこかで生きている父親が死ぬことになった場合会うかどうか考えてみました。どうこうしたいというわけではなく、やはり会ってみようという気持ちになると思いますね。せっかく生きているんだし、血が繋がった親なんだし。
章吾も会えばいいじゃないかと思ってしまうんですよね、僕個人としては。だけど、章吾はお父さんへの気持ちが強くて、前に進むために会わないという決意をした。その章吾の心境は如何ばかりかと考えたら、しんどかったです。母親のことだけでなく、7週目以降は精神的に非常に辛かったです。昔聖人の絵の才能に嫉妬して絵を壊してしまったという、章吾が忘れようとしていた過去も突きつけられて、章吾の核となる信念が揺らいでしまいましたからね。しかし、今までお固くやってきたからこそ、ここで章吾の弱さが引き立ち、今までの章吾が生かされたと思います。
- ――不器用な男を演じる難しさ
-
「俺はこうであるべきだ」「俺はそうするべきだ」という信念に縛られて生きている人間ですから、不器用なのです、とても。章吾の言っている事はきれいごとだと思ってしまったり、本当にいい奴だったらこんな事態にはならないだろうと思うこともありますが、章吾としては誰かを傷つけないためにした言動が、結果的に失敗してしまうことが多いのだと思います。
章吾という人間は、全てを汲み取ろうとしている「努力の人間」なのだと捉えていますが、彼の言動をどのように嫌味に見せずに表現するべきか悩むことが多いです。でも、お母さんに対する気持ちなどは、章吾だからといって変わるものではありませんし、自分の中で人間として共感できる部分を捕まえて、演じるようにしています。
- ――シリアスだからこそ笑いのツボに…
-
撮影も2ヶ月経ち、共演者のみなさんとは毎日会うのが当たり前のような存在になってきました。撮影が始まった頃、カメラマンの方が「僕らは運命共同体」だとおっしゃったことが心に残っていましたが、今はまさに実感している日々です。
シリアスなことをやっていればいるほど、ちょっとしたことが笑のツボに入ってきますね。路子さんがお茶を出して来る時に、つまずいてしまったことがあるのですが、そんなちょっとしたことがおかしくておかしくて、笑いが止まらなくなってしまったり…。しかも笑いは連鎖していくんですよね。一人が笑うと、みんなに伝染していって、NGを繰り返すはめになってしまったことがよくありました。
第一部のラストで、聖人が警察に連行される前礼子とキスするシーンの撮影の時には、僕もキスしてもらおうとして、目を瞑って待ってみました(笑)流れで「してくれるかな?」などと期待していたのですが、やはりスーと連行されてしまいましたね(笑)シリアスなドラマを撮っているとは思えないほど、現場はいつも和気あいあいと、笑いが絶えません。
第2部では3年の年月が経ち、それぞれの距離感も状況も変化し、大人になっている部分や過去への執着、しがらみなど、それぞれの思いが今後交錯していく中で、とても面白くなってきたのではないかと思います。最後まで息を切らさずにやっていきたいですね!

