「死刑の執行は午前中。当日の朝に知らされるため、午前中は恐怖と苦悩の時間で大変きびしいのです。昼食の配給があるとホットし、それ以外の時間帯は地獄の中で生きているようなものです」(奥西獄中記より)

 独房から無実を訴え続けている死刑囚がいる。奥西勝、86歳。昭和36年、三重県名張市の小さな村の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。逮捕された奥西は「警察に自白を強制された」と訴え、無実を主張。1審は無罪だったものの、2審は逆転死刑判決。そして昭和47年、最高裁で死刑が確定した。奥西は、死刑執行の恐怖と闘いながら、いまも再審を求め続けている。

 奥西の無実を信じているのが、母、タツノ。事件で村を追われ、見知らぬ町で1人暮らしを始めた。内職をしては、電車賃を稼ぎ、月に1度、名古屋拘置所にいる息子に会いに行く。そしてタツノは奥西に969通の手紙を送った。「お金のあるあいだ、湯たんぽを貸してもらい、牛乳も飲みなさい。」「やっていないのは、おっかあが一番知っている。」「長い間の苦労は毎日、涙いっぱいですよ」再審を待ち続ける母。奥西はタツノと約束をする。『無実を晴らして、必ず帰る』しかし、その約束を果たすこと無く、母は昭和63年、84歳で死亡した。

 奥西を支え続けたのが支援者の川村富左吉(74歳)。確定死刑囚は肉親と弁護士以外、面会が許されていないが、川村は法務省に掛け合い 奥西との面会を許される。川村は奥西との面会を10冊のノートに記録した。
「起床7時。運動毎日50分。運動は3坪ほどの部屋で歩くばかり。」
「作業、朝7時40分頃から袋貼り。午後4時に終わる。報酬は月2千円。」
「正月の食事、鯛の塩焼き・数の子・餅・赤飯・みかん・菓子。普段は米麦6対4。」
「息子が突然、面会に来た。20数年ぶり。嬉しかった。」
「誰かの死刑が執行された。一斉放送のニュースが突然切れたのでおかしいと思った。」
「胃がんの手術。3分の2を切除。」

 事件から44年後の平成17年4月、名古屋高裁は奥西の再審開始を決定した。川村と奥西は名古屋拘置所の面会室のガラス越しに握手。「今度は晴れて、塀の外で握手をしましょう」と二人は約束した。しかし、喜びもつかの間、検察が異議申し立てをし、再審は棚上げとなった。そして、その半年後、川村は病に倒れ、この世を去る。奥西との約束を果たすことができずに…。

 2006年、奥西の再審開始決定は名古屋高裁の別の裁判官によって取り消されたが、2009年、最高裁は名古屋高裁に審理を差し戻し。2012年、名古屋高裁は再び、再審開始決定を取り消した。

 映画では、「名張毒ぶどう酒事件」を題材に、独房の奥西、息子の無実を信じ続けた母・タツノ、面会室のガラスを挟んで応援し続ける特別面会人・川村富左吉らの姿をドラマで描き出す。さらに東海テレビが取材を続けた貴重な映像を交えながら事件を振り返り、孤独な闘いを続ける奥西の姿を描いていく。
※川村富左吉の"きち"の字の"土"は下が長い




仲代達矢(奥西勝役)

いわゆる"再現ドラマ"というのではなく、 拘置所で50年近く過ごされた奥西さんの心境は測りしれませんが、 仲代達矢がこの状況に追い込まれたらどうなるか、 そういう気持ちで演じました。
60年俳優をやってきた中で、私にとって記念碑的な作品になります。

樹木希林(奥西タツノ役)

実際の映像に残っている母・タツノさんから伝わってくる悲しみや苦しさにかなう訳がないと知りつつ、演じました。私たち役者が出演することで、観る人たちにとって見やすくなり、少しでも多くの方にこの出来事が伝われば、と思います。
事件については、関係するそれぞれの人が、みんなそれぞれの立場や事情で証言しているわけで、本当に人間というのは悲しくって、そして愛おしいなと思ったのが正直な気持ちです。
役者を超えて、今は、すごいものと関わったなと思っています。

寺島しのぶ(ナレーター)

人が人を裁く難しさも含め、以前から冤罪について関心がありました。
ドラマにするとフィクションに偏りがちですが、この作品は、そうではありません。
普段ドキュメタリーに取り組んでいるスタッフが作っているからでしょう、何とも言えないサラッとした仕上がりで、事件の深層が分かりやすく伝えられています。