■関東大震災を生き延びた建物が23棟も…愛知・明治村

 6434人が犠牲になった阪神淡路大震災から24年を迎えました。同じく都市を襲った地震が96年前の関東大震災です。実は愛知県犬山市の明治村には、この大地震を生き抜いた建物が残っています。それらの建物が後世に伝えることとは…。

 博物館明治村、100年前の建築物が60あまり集まっています。そのうち明治村の顔と言えるのが、東京から移築された「帝国ホテル」。20世紀建築界の巨匠、フランク・ロイド・ライトの手で設計されました。

 幾何学模様の彫刻が施されたレンガに、3階まで広がる吹き抜け…。実はこの帝国ホテルが、関東大震災を生き抜いた建物です。

 関東大震災について研究をしている名古屋大学の武村雅之教授(66)、この帝国ホテルをはじめ明治村の建築物の中に、関東大震災の遺構が残っていることを見つけました。

名古屋大学 武村雅之教授:
「明治村そのものに63棟の建物があるんですね、そのうちの23棟が関東大震災を経験して生き延びた建物なんです。少なくとも復興の時期に何か役に立っている」

 1923年9月1日に起きた関東大震災は、マグニチュード8クラスの揺れ…。その後、火事も発生して10万人あまりが死亡。明治以降で最悪の被害を出しました。その特徴は、都市部で起きた直下型地震だったことです。

 直下型地震は、24年前の「阪神淡路大震災」や、15年前の「新潟県中越地震」、そして1月3日の熊本県での地震など、日本列島で繰り返し起きています。

■“石造り”だったため現存…震災遺構は語る

 帝国ホテルでは、関東大震災のその日、完成披露パーティが開かれるはずでした。

名古屋大学 武村雅之教授:
「いちばん大きな役割は9月18日から日本赤十字社が、ここに臨時の救護のための出張所を設けたんです。それが主にアメリカからの救護団の受け入れ窓口になっていたんですね」

 石造りのため火災をまぬかれた完成直後の帝国ホテル。各国からの救援物資などを受け取るための拠点になりました。

■96年前と今とで変わらない“教訓”がそこに

 遺構の中には、現代にも通じる教訓を伝えるものもあります。

名古屋大学 武村雅之教授:
「震災当時、隅田川に5本かかっていた橋の一つです。この橋で約1万人の命が救われたと言われているんです」

 隅田川にかかっていた「新大橋」、またの名を“人助け橋”。武村教授によると、近くの交番の警官が機転を利かせて、逃げる人が運んできた荷物を全て隅田川に捨てさせ、燃えるものを橋の上に運ばせなかったことがこの橋が残った理由だと言います。

 荷車で渡ることを禁じ、燃えやすいもの持ち込ませず、多くの人を逃がした橋。この考え方は現代にも通じます。

名古屋大学 武村雅之教授:
「みんなが自動車に乗って、それで思い思いに避難をすると渋滞が起こる、例えば火災に巻き込まれたら次から次へと連鎖的に自動車が燃えて、乗っている人も命を落とす」

 地震のたびに起こる、幹線道路の渋滞…。東日本大震災では、車で避難したことで失われた命もありました。“必要最低限のものしか持たない”という避難の鉄則は、96年前からありました。

■関東大震災を経て普及した耐震補強の重要性

 さらに武村教授が案内してくれたのは、最後の元老・西園寺公望の別邸「坐漁荘」。今の静岡市清水区にあったものを移築しました。

名古屋大学 武村雅之教授:
「これ“筋違”が入っていますよね、耐震性に不安を持ってそれに耐えられるように入れたんじゃないかなって」

 木造家屋にはなじまない鉄の補強。関東大震災のあとに普及した「筋違」という金具です。

 実は、日本で初めての「耐震基準」ができたのは関東大震災の直後でした。

 その後も阪神淡路大震災など、大地震のたびに基準は強化されましたが、耐震補強の重要性が理解されたきっかけは関東大震災です。

■武村教授が語る“明治村から学べること”

 関東大震災を生き延びた建築物、そこから学べることとは…。

名古屋大学 武村雅之教授:
「明治村の建物を通じて、みんながいろんな経験をしたことが伝わってきているわけだから、それをちゃんと知って未来に備える。私はそれしかないんじゃないかと思っています」

 地震大国・日本。歴史ある建物が、防災の知恵を語りかけます。