■平成最後に賑わう「道の駅平成」

 平成もあと1か月余り、4月1日には新元号が発表されますが、平成と書いて『へなり』と読む、岐阜県関市の平成地区にはこの30年、いろいろなことがありました。

 地域の名前と同じ元号についたことで人々にどんな影響を与えたのでしょうか。

男性客:
「平成が終わるじゃないですか、それでちょっと来てみようかなって」

女性客:
「道の駅をずっとまわってて、平成最後なのでここへ(来ました)」

 平成最後にいきたくなる道の駅、その名も「道の駅平成(へいせい)」。平成の終わりが近づく中、休日になると岐阜県外からの観光客で賑わっています。

 施設を見てみても、看板に「平成」、垂れ幕に「平成」、さらにキャラクターにも「平成」と、至るところに「平成」の文字が。建物にも大きく「ありがとう!平成時代」と書かれています。

「ありがとう平成時代」実行委員長 美濃羽治樹さん:
「やはり平成時代が終わるということで、いろいろな方面で取り上げられて、こちらへ遊びに来ていただく方が増えました」

■突然のフィーバー到来…岐阜の平成(へなり)地区

 30年前、新たに発表された元号「平成」。その新元号と同じ漢字を使った全国で唯一の地名がここ「平成(へなり)地区」でした。

当時の住民:
「まさか、この字が取り上げられるとは夢にも思いませんでした」
「びっくりしたような、嬉しいようないろんな感じ」

 平成の発表と共に、人口わずか35人だった平成地区に突然のフィーバーが到来し、連日観光客やマスコミなどが訪れ、大賑わい。

 あまりのフィーバーに慌てて記念品として作ったテレホンカードやTシャツは飛ぶように売れました。

「ありがとう平成時代」実行委員長 美濃羽治樹さん:
「当時『平成って発表があったけど、平成(へなり)と一緒やぞ』って、急遽電話がかかってきまして、翌日から平成地区には2000台近い車が押し寄せました」

 さらには、当時の町長らが「平成おじさん」こと小渕官房長官(当時)と面会。

当時の武儀町長 土屋陽さん:
「私たちのような過疎の町村には、千載一遇の好機ですので、これを十分に活用したい」

 山間の小さな集落だった平成地区の名は一躍、全国に広まりました。

■「平成最後」で改めて注目

 ブームが一段落した平成6年にできた「道の駅平成(へいせい)」。平成の終わりを迎え、再び脚光を浴びる中、売り出しているのが…。

「ありがとう平成時代」実行委員長 美濃羽治樹さん:
「小渕さんが掲げられた、あの平成の文字をタオルハンカチにしました」

 平成のミニタオルや、『平成最後の』と銘打ったまんじゅうも。さらに…。

美濃羽治樹さん:
「我々スタッフ用にということで、ポロシャツを作ったんですけど、これをイベント等で見られたお客さんがどこで売ってるのか、という問い合わせがありまして、急遽作成しました」

 平成最後の年に新商品を次々と開発。多い日には3000人ほどが訪れるそうです。

大阪から来た男性(平成4年生まれ):
「これ(タオルハンカチ)を買いたくて。僕らも感謝しているからね、それで訪れたっていう、平成に。この時代に産んでくれて、ほんまにありがとうございます。お母さん、お父さん!ありがとう、平成時代!」

■名物は「巨大シイタケ」使ったカツ丼

 この道の駅平成、飛ぶように売れているのは平成グッズだけではありません。それは…「シイタケ」。

 実は、この地域の特産品で、隣の店にはこのシイタケを使った名物があります。

店員:
「お待たせしました、名物のカツ丼でございます」 

 なんと、直径15センチほどの大きなシイタケを使ったカツ丼です。道の駅の名物になっている「しいたけカツ丼」、この店を訪れる人の約8割が注文するそうです。

女性客:
「たぶん10回くらいはもう来ています。もうめちゃくちゃ好きです」

別の女性客:
「これだけ大きなシイタケってあんまり見たことないよね、売ってるものでも。こんな大きいシイタケがとれるんですね」

■シイタケ栽培は平成(へなり)の自然任せ

 このシイタケ、どうやって育てられているのでしょうか。

 シイタケ生産者 田畑さん:
「これは金のなる木やで(笑)」

 平成地区で40年以上シイタケ農家を営む田畑和義さん。店に、毎朝シイタケを卸しています。

Q.シイタケの種類は?
田畑さん:
「平成(へなり)シイタケ。あれやわ、原木シイタケだわ」

 田畑さんのシイタケは、原木シイタケと言われる、山の木に菌を打ちこみ、自然栽培する方法。

 おがくずを使った人工栽培の菌床シイタケと比べて、手間はかかるものの、香り深くなるといいます。ただ、自然栽培ゆえに、大きさはバラバラ。

田畑さん:
「ここにどえらいジャンボシイタケあるわ!こりゃ20センチ以上あるやろ、どんぶりに乗らんわ」

 中には20センチを超える、巨大なものも。とったシイタケはその日のうちに、道の駅に運びます。

■人口は30年で半分に…それでも「“グー”の平成時代」

田畑さん:
「おはようございます!シイタケ持ってきたよ!」

しいたけカツ丼店の従業員:
「いつもこういうのを持ってみえますけど。評判いいですよ。こんなに大きいのはなかなかね、どんぶりで出るところは少ないと思うので」

 しいたけカツ丼を求めて、店には全国からお客さんが集まるようになりました。

 この大人気のシイタケ。実は今、平成地区でシイタケをつくるのは田畑さんひとり。過疎化も進んでいて、人口も30 年前の半分となりました。

 それでも田畑さんは平成の時代で注目されたからこそ、今でもシイタケ栽培を続けられていると話します。

シイタケ生産者 田畑さん:
「平成のおかげで『シイタケ毎日持ってきてよ』って言われて。明日はいらない、なんて言わせへんで。毎日ぐらい持ってきてよって言わせるで。みんなシイタケを食べに来るから(これからも)頑張ってやらなあかんね」

Q.平成は田畑さんにとって良い時代でしたか?
田畑さん:
「そりゃあ良い!グーの時代やわ」

 小さな集落が大きく湧いた、平成フィーバー。『平成時代』も、あと1か月余りです。