■「投げるたびにベスト」日本記録を次々更新

 昭和39年の東京大会以来、日本人の五輪出場がない『円盤投げ』。しかしその円盤投げで日本記録を塗り替えた選手が愛知にいます。トヨタ自動車の湯上剛輝選手です。

 ところが、記録更新に沸く会場の歓声は湯上選手の耳には届きません…

 湯上選手が一躍脚光を浴びたのが、去年6月の日本陸上選手権。

 1投目で自己ベストを塗り替えると、3投目には日本記録を樹立!そして5投目には、日本人初となる62メートル台を出し優勝しました。

湯上選手:
「投げるたびにベストが出る。今までにない喜びというか面白さを感じましたね」

 記録が更新されるたびに沸く競技場。しかし、その歓声は湯上選手の“耳”に届いてはいませんでした…。

湯上選手:
「まあ、僕は『人工内耳』というものをつけているんですけど、それを外してしまうと何も聞こえないんですね。(Q.歓声が聞こえないことで寂しさなどは?)結構、周りの人の表情だったり、動きだったり、そういうところから自分のことを見て盛り上がってくれていると、そういうのが伝わって来るので…大丈夫です(笑)」

■“無音の世界”を競技としてプラスに

 先天性の難聴を抱え、生まれた湯上選手。

 医師からは野球やサッカーといった“接触スポーツ”を止められていました。そんな中で出会ったのが円盤投げでした。

湯上選手:
「(最初は)砲丸投げを始めたんですけど、どうもセンスがなかったみたいで、そんな中で円盤を見つけて投げてみたら、ものすごくきれいに飛んで、円盤の軌道というか飛び方というか、そういうものが当時の自分にはものすごくきれいに見えて…」

 重さ2キロの円盤を投げる競技。湯上選手の武器はその強靭な腕…ではなく、実は音がほとんど聴こえない“耳”だと言います。

湯上選手:
「何も聞こえないということは無音の世界なので、それがすごくプラスだと自分では思っていて、他の選手にはない武器だと捉えていて、マイナスに思ったことはあまりないですね」

■円盤投げで昭和39年東京大会以来の五輪へ…

 さらに湯上選手には、どうしてもオリンピックにこだわる理由がありました。

湯上選手:
「聴覚障害者の選手って僕以外にも何人かおられるんですけど、パラリンピックに出場する権利がなくて…」

 実は難聴の選手は、パラリンピックに参加することができない円盤投げ。

 またオリンピックに至っては、日本人選手の出場は前回の東京以来56年間ありません。

 それでも湯上選手には夢の舞台で、実現したいことがあります。

湯上選手:
「自分が活躍することによって、何かしら体にハンデを持っている方々に『湯上という選手がこんなに頑張っているから自分も頑張ってみよう』と、そういう風に思ってくれたら僕はうれしいと思って、それを叶えられるのがオリンピックの舞台だと思っています」

 大きな体に秘めた強い気持ち、そんな湯上選手の想いとは…?

湯上選手:
「(色紙に書き、読む)夢と希望、勇気と感動を与えられる選手になる、これを目指して東京オリンピックへ頑張っていきたいと思います」

 難聴という困難を乗り越え、武器にまで変えた湯上選手。2020年、東京の空に美しい放物線を描きます。