内閣府の調査では、家族などから性被害を受けた女性のうち誰にも相談していない人の割合はおよそ6割です。

 愛知県に住む、ある2児の母親も小学生のころから実の父親から性的暴行を受けていましたが、周りに相談できませんでした。

 しかし、2020年に名古屋で開催された性暴力の撲滅を訴えるデモで、初めてずっと言えなかった心の傷を公の場で語りました。

■実の父親から繰り返し受けた性的暴行…25年たっても傷抱えたまま

美咲さん:
「(父の写真を見て)よく分からんけど、なんか複雑というか」


 父親の写真から目を背ける女性…美咲さん(42)。小学生から高校生まで10年以上にわたり、実の父親から繰り返し性的暴行を受けていました。

美咲さん:
「『女の子は彼氏ができた時に、恥ずかしがったりとかしないための練習だよ』みたいなことを言われて、ずっとそうやって言われていたから、だからそうなんだとしか思わなくて」


 両親は離婚して母親はおらず。決死の思いで学校の先生に相談しましたが、軽くあしらわれました。父親から「この事を話したらみんなバラバラになっちゃうよ」と口止めされ、他の人には相談できませんでした。

 高校卒業後、職場で知り合った夫と結婚し、被害から逃れることができました。あれから25年。今も傷を抱えています。

■女性に現れる“4人の人格”…心の傷から治療法のない「解離性同一性障害」に

 美咲さんは、愛知県内で夫と子供の家族4人で暮らしています。2週間に1度、カウンセリングへ。

美咲さん:
「いーちゃんがいつも、この日は病院だよというから病院に行くの」


 「解離性同一性障害」。幼い頃の虐待によるトラウマなどで、別の人格が複数存在する多重人格症です。美咲さんは現在、4人の人格が現れるといいます。この日は、「いーちゃん」という女性が…。

美咲さん:
「その場だけ我慢すればと思えば楽じゃない、と思ったあたりから記憶がぶちぶち飛ぶようになった…。(パトカーのサイレン音)はぁ、はぁ、はぁ。いーちゃんはダメ。気持ち悪くなる。その後は覚えていない」

 街中の雑音で過去を連想し、発作を起こすことも。治療法はありません。自宅でも別の人格が。「あいちゃん」という女の子です。

美咲さん:
「いただきま~す。あいちゃん、かまぼこ嫌い」

 被害から7年。その経験を初めて、夫に打ち明けました。

夫:
「聞いたときはびっくりしまして。誰でもすぐに離婚という話は出てくると思うんですよね。離婚して奥さんが立ち直れるかと言ったら、立ち直れないので、誰かが助ける人間がいない限りはね」


 夫が美咲さんに代わり、父親を追及。行為を認めましたが、すでに時効を迎えていました。訴えることもできず、飲み込むしかなかったといいます。

美咲さん:
「自分よりも周りの方がすごい大変だと思うから、(人格が)すごくコロコロ変わって面倒くさいだろうなとか、よく出ていかんなとか、よく追い出さないなとか、なんか凄いなと思う」

■実の娘に性的暴行加えた父親が一審で「無罪」…性暴力撲滅訴える“フラワーデモ”が全国に拡大

 2019年6月。名古屋で、性犯罪の被害者らによる性暴力の撲滅を訴える「フラワーデモ」が行われていました。相次ぐ性暴力の無罪判決で、デモは全国に広がりました。

デモに参加した女性:
「全て奪われるのが性暴力です。もうこんなことは本当に嫌なので」

別のデモに参加した女性:
「娘は現在も、言葉に表せない悲しみ、苦しみと闘っています」

 2017年、愛知県豊田市で、父親が当時19歳の実の娘に性的暴行を加え、準強制性交の罪に問われた裁判。一審の無罪判決から一転、懲役10年の二審判決が確定しました。

美咲さん:
「時効の前に言えたのは凄いなって。(私は)訴えるという発想がまずなかったから、そういうことをされていた時は」

 
 判決内容について美咲さんは、「被害者はこの先ずっと引きずって生きなければいけないのに、10年はどうかと思う」と話します。

 未成年への性的暴行…。大半は悩みを一人で抱え込んでしまっているのが現状です。

■子供たちの存在が心の支えに…つけた名前から1文字ずつとり「美咲」に改名

 外に出かける時は、高校生の娘が付き添います。美咲さんが、性的暴行被害の経験を話したのは、娘が中学生の頃でした。

高校生の娘:
「過呼吸になったりとかするので、聞かないようにはしていました」


 高校生の娘が小学校の頃が最も酷く、美咲さんの情緒がとても不安定で、物を投げたりなどがあっといいます。

娘:
「今はすごく落ち着いてきているなというのはすごく感じます。(人格が)変わっている時の記憶がないのが、すごく大変なんだろうなと思っちゃって」

美咲さん:
「大変なの?」

娘:
「大変じゃない?みんな教えてくれるもんな?いーちゃんとか」


 子供の存在も、心の支えとなりました。娘と息子の名前から一文字ずつとり、「美咲」という名前に変えました。

美咲さん:
「ちょっと自分も変われるかもって思って、いま名前を変えて1年なんだけど。ちょっとずつ変わっているのかなって思う」

■性的暴行被害を初めて公の場で告白「生きていれば誰かに出会える」

 そして去年11月、名古屋・栄で開催された性暴力の撲滅訴える「フラワーデモ」。美咲さんは公の場で初めて性的暴行被害を告白しました。別の人格に変わらないよう、運営スタッフに代読を依頼しました。

運営スタッフ(代読):
「小学3年生の頃、両親が離婚しました。そこから父親からの性虐待が始まりました。父親はいつか大人になる時、恥ずかしい思いをしないように、これは練習だよと、あなたのためだよと言って、手を出してきました。死にたいと思ったこともたくさんありました。でも、いつか生きていれば、誰かに出会えます。あなたを理解してくれる誰かに出会えます。声を聴いてくれる誰かに出会えます。そして、その人と素敵な時間が過ごせます」

 美咲さんは“今被害を受けている子が、そこから逃げるきっかけになれば”と勇気を持って声を上げました。

美咲さん:
「今、被害に遭ったりとかしている子たちがいたら、大人になってから、こうなっちゃうかもしれないよという。そうなった時はもう、自分でなんともできないから、もっと辛いし」

■子育ては「あの人と逆のことをしよう」…父親に宛てた手紙に綴られた決意

 5年前、美咲さんの父親は亡くなりました。

美咲さん:
「(父から理由を)聞いても納得しないだろうし、多分、晴れないと思うけど、癒えないとは思うけど、(父は)いないし、今」

 美咲さんが父親に宛てた手紙。そこに綴られていたのは、父親への憎しみではなく、「親としての責任」でした。

(美咲さんが父に宛てた手紙)
「自分の親と反対の育て方をしてよかったと思えてる」

 誰にも相談できない苦しみを抱える現実。声をあげられる社会への変容が必要です。