岐阜県飛騨市古川町で400年以上続く「古川祭」。その祭りに欠かせないのが、各家庭の軒先に吊るす「提灯」です。

 飛騨古川で現在、その提灯を作る唯一の職人の女性は3年前、高齢化や後継者不足で全ての提灯店が廃業となった中、その伝統を途絶えさせてはいけないと、提灯の世界に飛び込みました。

 この女性は提灯作りだけではなく、後継者不足で廃業の危機に陥ったりんご園を受け継ぎ、さらに近所の衣料品店でアルバイトをするなど、三足のわらじを履いています。

■400年以上続く祭を彩る提灯…伝統を守るのは町で唯一の提灯職人

 岐阜県高山市の北に位置する飛騨市古川町。この町で唯一の提灯職人・野中早織さんの工房は、風情ある白壁土蔵の町並みから歩いて5分のところにあります。野中さんは、祭りの提灯の張替え修理を行っていました。

 飛騨古川で400年以上続く古川祭。ユネスコ無形文化遺産の1つに数えられ、さらし姿の裸男たちが激しくぶつかり合う「起し太鼓」や、きらびやかな山車が町を練り歩く「屋台曳行」が見ものです。

 主な仕事は張り替えですが、提灯の破れた穴だけを修理することができないため、「重化」と呼ばれる輪以外は1から作るため、ほぼ新品を作る作業と同じです。

 一張りに約10日。祭りが始まるまでの1月から3月が、最も忙しい時期です。しかしこの日、提灯の張替え修理を続けていた野中さんは、長靴に履き替えてどこかへ向かいました。

■高齢化と後継者不足で運営困難に…素人でも夫婦で引き継いだ「りんご園」

 着いた先はりんご園。野中さんは提灯職人のかたわら、夫の誠さんとりんご園も営んでいます。繁忙期は12月までですが、この時季でも、枝の剪定などの作業があります。

 作っているのは『ふじ』。積雪量の多い古川町の特性を生かした「雪の中りんご」と言われ、一定の温度と湿度に保たれる雪の中で、ゆっくりと熟成し、甘みを凝縮します。

野中さん:
「このりんご園をやっていた方が高齢で、誰か後継者がいないかと何年も前から探してみえて」

 およそ35年前、地元の有志団体が開園。しかし、高齢化と後継者不足で運営が困難となりました。そこで4年前、野中さん夫婦が農園と栽培技術などすべてを受け継ぎました。

 夫の誠さんはもともと左官業をしており、夫婦そろってりんごづくりは素人でした。しかし、多くの雪の中りんごのファンから「無くなるのが寂しい」という声に押され、受け継ぐことを決めました。

■「好奇心とか好きでやっている感じ」…衣料品店でアルバイトも

 昼になり野中さんは、近所の衣料品店へ。三足目のわらじです。不定期ながら依頼を受けると、袋詰めや商品の補充などの手伝いをします。この日は布団に綿詰めをしていました。

アルバイト先の衣料品店の店主:
「好奇心とか好きでやっている感じがするので、大変そうだとはうちは思っていません」

 同じことばかりやっていると逆にストレスが貯まると話す野中さんは、アルバイトも楽しんでやっています。

■消えた『古川提灯』の灯…好奇心から始めた提灯作り「無くしてはいけない」

 祭りになると軒先につるされてきた提灯。しかし、材料不足に加え、高齢化や後継者不足で最盛期には6軒ほどあった提灯の店は次々と廃業。10年ほど前、最後の提灯店が閉じると、「古川提灯」の灯は消えてしまいました。

 そこで野中さんは「400年も続いてきた祭の提灯を無くしてはいけない」とこの世界へ。自分が気になることは全てやる、提灯作りも初めは好奇心からでした。

 もともとは建設会社で現場監督を務めていましたが、3年前、飛騨市が郷土工芸品産業の後継者育成のために始めた「奨励金制度」の適用を受けたことで提灯の道へ。

 老舗の提灯店で2年間指導を仰ぎ、去年職人として独り立ちしました。ところが新型コロナの影響で古川祭は、神事のみが行われ、提灯の出番はありませんでした。

野中さん:
「去年は静まり返る感じで。古川の人は祭りがないと『普通ならなぁ、屋台引っ張っとるのに』とか言いながら…」


 自慢の祭りを開きたい…。町民全員の思いです。

■本来“分業制”の提灯を一人で製作…古川の町に代々受け継がれてきた提灯

 古川の伝統の古川提灯。その特徴は、木型に50本の竹ひごを1本ずつ巻いていく「一本掛け」と呼ばれる製法にあります。

 手間はかかりますが、その分強度があり、竹ひごのラインが美しく出ます。組み終えると、ノリを塗り、しわが出ないように和紙を貼りつけ、カミソリで余分な紙を切り取ります。灯した時に切った部分がバラバラにならないように、まっすぐに揃えます。

 貼り終えたら、一晩かけてノリを乾かします。そして翌日、木型をはずし文字入れの作業へ。年季の入った風呂敷には、古川の町に代々受け継がれてきた提灯の「文字の型紙」が入っていました。昔から各家々の家紋はもちろん、町内の屋台ごとに入れる文字と文字型が決まっています。

 野中さんは、「入れる文字は、独特な『押さえ』や『はねる長さ』など代々決まっているため、それをベースに縁どって中を塗っていく作業が大変」と話します。

 本来、提灯作りは、何人もの職人が携わる分業制でしたが、職人が他にいない今、野中さんが一人ですべてをこなさなければなりません。しかし勤めていた時の同僚からは、「生き生きしてるね」と言われるそうです。

「提灯作り」に「リンゴ園」に「アルバイト」と3足のわらじを履きながら、野中さんは400年続く古川の伝統を守っていきます。