10年前の東日本大震災で被災した、岩手県陸前高田市出身の松田星那さん(22)は、4年前に名古屋の大学に入学。大学生活を名古屋で送りこの春卒業し、かねてからの看護師になる夢を叶えました。

「忘れたいこと」と「忘れてはいけないこと」…。松田さんは様々な思いを胸にこの春、岩手へ戻ります。

■一本松に「なつかしい松の匂い」…大学入学のため岩手・陸前高田から名古屋に来た女性

 岩手県陸前高田市の東日本大震災の復興シンボル「奇跡の一本松」。7万本の松があった景勝地「高田松原」で唯一残った松の木です。

 あの日から10年。教訓を伝えるため、3月23日に接ぎ木して育てた松が、名古屋の東山動植物園に植樹されました。

陸前高田市出身の松田星那さん:
「もっと大きい。海に行く時は、下を通って日影だから涼しいんですよね。なつかしい松の匂いするかな」

 4年前、大学入学のために名古屋にやって来た松田さんは、この春大学を卒業。看護師として、この松と入れ替わるように岩手へと戻ります。

■あの日の背中で感じた手の温かさ…看護師目指すきっかけに

 10年前のあの日、小学6年生の松田さんは、学校から帰宅しようとしていました。2時46分、鳴り響く警報。

松田さん:
「坂のぼってくるおばちゃんが『波がきたよ、逃げて』って。それ聞いた瞬間に先生が『逃げろ』って」


 松田さんはクラスメートと共に必死に高台へ走りました。後ろを振り向くと目に入ってきたのは、押し寄せる波と、流される人。消そうにも消せない記憶です。

 津波の翌日、体調を崩してしまった松田さんを助けてくれたのは、赤十字の看護師でした。

松田さん:
「背中をなでられたんです。手の温かさとか強く覚えていて。言葉じゃないところから不安を取り除いてもらえるってこともあるんだなって」

 この出会いが、命に携わる看護師を目指すきっかけとなりました。

■看護師となって岩手に戻ることが条件の「まるごと支援」で名古屋の大学へ

 家は全壊。仮設住宅での暮らし、お酒に頼るようになった父親は、松田さんが高校2年生の時に出ていきました。松田さんは経済的にも厳しい状況の中、奨学金を受けながら高校には通いましたが、大学への進学は諦めていました。そんな中、先生から勧められたのが名古屋市の「まるごと支援」でした。

 子供たちを修学旅行で招いたり、職員を派遣したり、名古屋市は継続して陸前高田を支援してきました。支援の仕方の一つ、看護師となって岩手に戻ることを条件に入学金、授業料免除で名古屋市立大学の看護学部に入学できる制度を使い、松田さんは進学しました。

 松田さんは看護助手としてお世話になった病院でも大学でも、陸前高田出身と話すことを避けてきたといいます。ずっと胸の奥にしまっていたこと…。

松田さん:
「わからないだろうし。わかってほしくないわけでもないんだけど…。毎年、授業料免除とか援助金とか受け取るたびに『震災を忘れるな』って言われている感じがして…」

「名古屋に来てくすぶっていた思いが、今出ている」と話す松田さん。陸前高田を離れて強く感じ始めた「被災者」としての意識。

 3月11日は、松田さんの「忘れられないこと」が「忘れてはいけないこと」として強調される日。巨大津波、そこから逃げる人達…。毎年、3月になると繰りかえし流れる映像を見られなくなっていきました。

松田さん:
「3月11日だから考えなきゃって思わなくていいと思うんですよ。人によっては震災に対する意識を高めなきゃみたいに…。普通の日常であってほしいという思いもあるんですよ」

■「看護師として恩返ししたい」…震災から何年ではなく岩手に帰る時が自らの節目

 看護師の国家試験の合格発表の日。見事合格した松田さん、春から看護師です。震災から10年は節目ではなく、これからにつながる通過点。名古屋で看護師になって岩手に帰る、その時が松田さんにとっての節目です。

 松田さんは「看護師として、災害現場に行き、ケガをした人などの身体的な苦痛や不安をケアして恩返ししたい」と話します。

 10年がたち、陸前高田から遠く離れた名古屋に植樹された「奇跡の一本松」。メッセージが込められたこの松の木が、いつか特別に意識されることがないくらいに周りに溶けこんでほしいと願っています。

「また地震が来た時には、10年前の経験が生かされる日常になってほしい」。それが松田さんの願いです。