「かねやん」の愛称で親しまれた球界史上最高の400勝投手、金田正一さんが6日未明に亡くなりました。86歳でした。愛知県稲沢市生まれで、享栄高校出身の金田さん。関係者から偲ぶ声が挙がっています。

 昭和49年の日本シリーズ。ドラゴンズを破り、故郷・名古屋の中日球場で宙を舞ったのは、当時ロッテの監督だった金田正一さんでした。

 昭和8年、今の愛知県稲沢市に生まれた金田さん。名古屋の大曽根中学校から享栄商業に進み、昭和25年にプロ野球・国鉄スワローズに入団しました。

 その後、巨人に移籍とすると、前人未到の400勝を達成し、現役を引退。

 ロッテで監督を務めた後は、歯切れのよい野球評論家、タレントとして人気を博しました。

 昭和53年「空白の一日」で、江川卓投手が巨人に入団した時には…。

当時の金田さん:
「これを機会にですね、ドラフトというものをもう一度再検討して、大人同士の解決をもう1回し直さないと、こういう問題が当然起きても当たり前のような気がしますね。とにかくルールを改正しなさいと、早くこういう問題が2度と起きないように、プロ野球発展のためにも、どうかもう一度考え直してください。若い金の卵も素直に喜んでプロ野球入れるようなチームの機構やプロ野球の機構を作ってください」

 その後、「名球会」を設立し代表幹事も務めた金田さん。2008年に同じ背番号34の左腕、山本昌さんが200勝を達成し名球会入りしました。そのとき、ブレザーを着せたのが金田さんでした。

山本昌さん:
「入団した時にね、“背番号34”『金田の背番号だ』って周りの人に言っていただいて、すごく謙遜した覚えがあるんですけれども。(名球会入りで)ようやったなということで、34番の後輩だということですごくかわいがっていただいたので、私も長く34番を付けさせていただいて本当に嬉しかったなと思いますね。よく会うと『しっかり健康に気を遣っとけよ』と『体に金かけろよ』っていう話はしていただいてたので、急で。この前お会いした時も元気だったので、驚いてます。私にできることといったら、ご冥福をお祈りするしかないとは思います。本当に残念な方を亡くしたなと思います」