小さな町でバレーボールを始め、いくつもの挫折を乗り越えてオリンピックへの切符を掴んだ日本代表で、三重県いなべ市出身の西田有志選手(21)。

 中学3年生の時に書いた作文のタイトルは「オリンピックへの道」。14歳から憧れた夢の舞台にいよいよ挑みます。

■母「全員つぶしてこい」…息子がオリンピック日本代表に選出

 2021年6月21日。三重県いなべ市の西田家では、父・徳美さんと母・美保さんが、東京オリンピックの日本代表の発表を待ち望んでいました。見事、息子の有志選手は日本代表の12人に選出されました。西田家からオリンピック選手の誕生です。

【画像20枚で見る】手厳しい両親のもと5歳から猛特訓 バレー西田有志が挑む夢舞台「五輪で親に恩返し」

父・徳美さん:
「こんな二人からな」

母・美保さん:
「すごいと思う。全員つぶしてこい、それだけかな。そしたら勝つもんね」

 実家の棚には、世界大会のタイトルトロフィーやメダルが飾られ、輝かしい功績の数々が並びます。

■大きい選手に負けないように…何度も飛び続け培ったジャンプ力

 2019年1月。西田選手は、無名だった高校時代からVリーグ「ジェイテクト」に入団。入団して1年が経ちましたが、まだ大きな大会での実績は1つもありませんでした。

 三重県いなべ市で生まれた西田選手は、3人きょうだいの末っ子です。バレーを始めたのは5歳。身長はさほど大きくありませんでした。

「バレーボールは身長のスポーツ」。両親はその言葉が大嫌いでした。小学校から何人かが選抜されるという時、募集用紙に親の身長を書く欄があったといいます。

美保さん:
「親が大きかったら子供も大きくなる感じで書かされたの。私は168(センチ)で、(有志は)小6で160くらいかな、158とか。で、落とされたの。親の身長低いからって。びっくりして。低いって。はぁ?って」

徳美さん:
「そういうふるいは全部落とされているわけよ。計測クリアするために、靴の中にティッシュ詰めたって感じ」

 赤い橋の下で、西田選手は大きい選手に負けないジャンプ力を培うために、地面から高さ2.6メートルをめがけ何度も何度も飛び続けました。

 西田選手は現在、身長186センチ。最高到達地点は346センチを誇ります。

■母「負けたのはお前のせいやぞ」…分岐点はケガに倒れた春高バレー県大会決勝

 バレーボールでは一切の妥協を許さなかった両親。負けている時は容赦なく罵声を浴びせてきたといいます。

西田選手:
「『お前、何やってんねん』って感じで、上(客席)から言われるんですよ。プッチンときて『うるさいわ』って反発しちゃったんですよね」

 西田選手と両親にとって、忘れられない試合があります。春の高校バレー・三重県大会決勝。2年生エースとして挑みましたが、試合終盤に体が限界を迎え、西田選手は下半身がつり、肉離れになります。エース不在となったチームは敗れました。

西田選手:
「二度とああいう思いをしたくないって…。あれが一番、分岐点になりましたね」

「足がつるのは恥ずかしいこと。練習していない証拠」と手厳しい母・美保さん。

美保さん:
「頭にきて、治療しているところ行って『お前のせいやぞ』って言って帰ったんですけど…。ひどい親ですね」

 高校バレーの最高峰・春高の舞台に一度も立てなかった3年間は、苦い青春の思い出です。

■五輪で両親に恩返しを…14歳から夢見たオリンピックの舞台に挑む

 人生を大きく変えたのが、2019年のワールドカップバレー。チーム最年少19歳にして強豪国相手に次々に得点を重ねると、圧巻だったのは、最終戦のカナダ戦での連続サービスエース。「ベストサーバー賞」「6連続得点」「28年ぶりの4位」など数々の栄誉を得ました。

 ワールドカップが終わると多くのファンが会場に詰め掛け、一躍、バレー界のスターに。

 2020年、オリンピックイヤー。西田選手が出席できなかった地元・いなべ市で成人式が行われました。

中学時代の恩師:
「(西田選手に)電話で『作文読むけどいいか』って言ったら、『いいよ』って言ってくれました。西田有志君。『私の夢は、2020年東京で開かれるオリンピックに出ることです』」

 先生からの頼みで、私たちは作文を渡すことにしました。14歳で夢見た「東京オリンピック」です。

西田選手:
「(作文を読んで)『私よりも上手な選手はいっぱいいましたけど、その合宿に参加させてもらったおかげでオリンピックという夢を強く思うようになりました』。懐かしい名前いっぱいおるな、へぇ。まさかこんなに(夢の)近くに来るとは思わなかったですね」

 今年5月に右足首を捻挫しましたが、ケガを乗り越えて復帰。

西田選手:
「悩んだ時に助けてくれたのが両親だったので…。自分の人生で助けられてばっかりだったので、一番にやってあげたいのはオリンピックに出て、そこが恩返し」

美保さん:
「嬉しかったですね。全部つぶしてこいって。あれだけの力つけたんだから。全部、ブロックをぶち抜いてこいと」

 西田選手はいよいよ、中学の頃から思い憧れた夢の舞台に挑みます。