女子ハンドボールの日本代表「おりひめジャパン」は、1976年のモントリオール大会以来、45年ぶりにオリンピックに出場します。中心選手でキャプテンの原希美選手とチーム最年長の石立真悠子選手は、地域密着をコンセプトする三重の社会人チームに所属しています。

 三重から世界へ。2人は、日本女子ハンドボール界の45年分の思いを胸に夢の舞台に挑みます。

■地元のコミュニティFMで冠番組も…地域が支えるチームから五輪代表選手誕生

 日本代表キャプテンの原希美選手(30)と、チーム最年長の石立真悠子選手(34)は、三重県鈴鹿市を拠点にする「三重バイオレットアイリス」に所属しています。

【画像20枚で見る】女子ハンドボールが76年大会以来の五輪出場 45年分の想い背負い世界との戦いへ

石立真悠子選手:
「久しぶりにオリンピックの舞台。日本のハンドボールは強い。世界で戦えることを示したい」

原希美選手:
「45年間色んな方が涙して出られなかったという想いを、自分たちが背負って戦いたい」

 2人が所属する「三重バイオレットアイリス」のチームコンセプトは「地域密着」。

「中部シロアリ研究所で事務員を…」、「AGF鈴鹿株式会社でコーヒーの製造を…」。チームは、地元が選手を支える「1選手1企業」の制度を取っています。

 チームはかつて、地元のコミュニティFMで、冠番組も持っていました。そして、専用の体育館がないため、毎日地元の高校を借りて練習しています。

石立選手:
「たくさんの方々に応援してもらっているチーム。皆さんと戦っている感覚だったりとか…。本当に後押ししてもらっているなって」

■三重自体がパワースポット…神社巡りオリンピック引き寄せたチーム最年長の選手

 2年前に入団したチーム最年長の石立選手は、オリンピック出場が長年の夢でした。「ロンドンとリオは予選で敗れ…、やっと夢のスタートラインに立てた」と話す石立選手。念願のオリンピック出場は、三重に来てから“あるところ”に通ったおかげといいます。

石立選手:
「神社を巡ることが好きなんですよ。すごくパワーをもらったり、疲れたりリフレッシュしたい時に行くのが好きで…」

 神社が多い三重県自体が、パワースポットと話す石立選手。休日に椿大社や多度大社などを一人で巡り、オリンピックに向けてひそかにパワーを溜め込んでいました。

石立選手:
「椿大社に、待ち受けにすると願いが叶うっていう滝があるんですよ…。それを『オリンピックに行けますように』って写真を撮って待ち受けにしていました」

■支えてもらった分恩返ししたい…見守ってくれた両親のために満面の笑顔で戻って来たい

 福井県出身の石立選手は、強豪・小松市立高校3年の時にキャプテンとして高校三冠を達成しました。その後、ハンドボールの本場ハンガリーに武者修行に渡りました。

 石立選手の両親はアスリートではありません。

父の信寛さん:
「自分たちが体育会系じゃないから、生まれつきの能力はないはず…」

石立選手:
「能力なさ過ぎて…、気持ちしかないんですけど。下手くそだからガッツしかないみたいな」

 才能がなくても気持ちでは負けない。そんな石立選手を、両親はずっと見守り続けてきました。石川県能美市の実家には、たくさんのファイルが並んでいます。

石立選手の父・信寛さんは、娘の新聞記事やネット記事を全てファイリング。中には、読めないハンガリー語の記事を英語に翻訳したものまであります。

石立選手:
「全然応援しているふりをしないんですけど、愛情を感じます」

「今まで支えてもらった分恩返ししたい。そして満面の笑みで戻ってきたい」。石立選手の願いです。

■東京五輪がケガから復帰の原動力に…満身創痍のチームキャプテン

 そしてもう1人。入団10年目の30歳の原希美選手(30)は、ずっとチームの主力メンバーとして戦ってきました。

 原選手は、2019年11月の代表合宿中に右ヒザの前十字靭帯断裂の大けがを負いました。東京オリンピックに間に合うか…。復帰まで半年以上かかると言われる大ケガでした。

原選手:
「代表はずれた後は、むちゃくちゃリハビリ頑張りました。オリンピックが原動力というか、もしオリンピックがなかったら気持ち的にも違ったと思うので…」

 原選手は、左ヒザも以前手術し満身創痍…。それでも東京オリンピックの存在が、復帰へと奮い立たせました。

■三重から世界へ…45年分の想いを胸に夢の舞台へ

 原選手には大学時代から一緒にプレーし、3年前まで同じチームで戦ったチームメイトがいます。現在、デンマークを拠点に活躍する、日本代表の池原綾香選手(30)です。

 池原選手は、日本で代表合宿がある時には、原選手の自宅に住み込んでいます。5年前のリオオリンピックも2人で目指しましたが、その夢は叶いませんでした。

原選手:
「阿吽の呼吸というか、会話をしなくても、目があったら来るかなみたいな感じのコミュニケーションは取れている」

 今回の東京オリンピック、女子ハンドボールとしては45年ぶりの念願の舞台。2人にしかできないプレーで世界に挑みます。

石立選手:
「本当にオリンピックってみんなの夢なんだなって。その方たちと一緒に戦っていると思って頑張るので」

原選手:
「小学校の時に文集とかにオリンピックで金メダルとるって書いていて、その時からオリンピック目指してやってきたので、ここで諦めたくない」

 三重から世界へ。2人は、45年分の想いを夢の舞台にぶつけます。