名古屋市東区に、名古屋名物「味噌煮込みうどん」の名店があります。この店で暑い夏に食べたいのが冷たいきしめん「きしころ」です。

 2日かけて作られた噛み応えがある手打ち麺に、キンと冷えたつゆとすだちが香る「きしころ」。涼やかな一杯を生み出すのは職人の技と勘です。

■きしめんに冷たいつゆをかけた逸品…喉越し爽やか「すだちわかめのきしころ」

 名古屋市東区泉の桜通の北にある大正15年創業の「みそ煮込みの角丸」。暑いこの時季に人気なのは「すだちわかめのきしころ」(920円)です。

【画像20枚で見る】味噌煮込みうどんの名店の三代目が作る名古屋の夏の風物詩・冷たいきしめん『きしころ』

 きしめんに冷たいつゆをかけた逸品で、ルーツは諸説ありますが、古くからある名古屋めしです。

女性客:
「暑かったので食べたかった。麺は薄くてもちっとして、喉越しがすごくよくておいしかったです」

 作るのは、三代目の日比野宏紀さん(51)です。名古屋発祥なのに、知らない人も多いという「きしころ」。その手打ち独特のコシを引き出すのは職人の熟練の技です。

三代目の日比野宏紀さん:
「昔から当たり前にありましたけど意外と冷たいきしめんを知らない。食べてもらったら好きになってもらえるんじゃないかと」

■最後の水の量は手しか知らない…名古屋手打ちを支える熟練の技

 名古屋に昔から伝わる「名古屋手打ち」。小麦粉は風味がよくコシが強いものと、伸びが良くちぎれにくいものの2種類をブレンド。それに塩水を加えてこねていきます。こねる段階で塩が強いのが名古屋手打ちの特徴です。

 一般的な塩分濃度は10%ほどですが、名古屋手打ちはその倍近い18%以上。この高い濃度が麺の弾力性や伸び具合を高めます。しかしその分、生地がすぐ硬くなるため、手際よく混ぜ合わせます。

日比野さん:
「機械だと撹拌のみ。手だとねじりをかけるような作業が入ってくるので、複雑なコシがでる」

 粉の一粒一粒に水分が行き渡るように丁寧に混ぜながら、手打ち独特のもっちりとしたコシを引き出していきます。重要なのはどれだけ塩水を加えるか。スプーン1杯分の違いで、まったく別物になってしまうといいます。その水分量を見極めるのが手です。

日比野さん:
「目も大事ですけど、最後の水の量は手のひら。言葉では説明できないですね。手しか知らない」

 生地を強く鍛えるのが、名古屋手打ちの極意。練りを加え、拳で突いて1つにまとめていきます。

■手と足を使い丁寧に生地作り…名古屋手打ち特有の「ちぎり出し」

 さらに足で踏みます。ポイントは踏みすぎない事で、30秒ほどで丸め直し、もう1度踏んだら終わりです。

日比野さん:
「これ以上かまう(踏む)と、コシではない変な硬さが出るんです。手の作業を長く丁寧にやって、足(踏み)を短くした方が柔らかくいいものができます」

 生地を2時間ほどおき、硬さを取り除いた後、名古屋手打ち特有の「ちぎり出し」を行い、形を丸く整えます。

 さらに1時間おき、今度は「本まるけ」という工程へ。生地を少しずつ回転させながら、親指で真ん中をぐっと押し込みます。この時に中央にできるのが「へそ」。まわりよりも硬くなっています。

 生地を延ばすとき、中央は薄くなりやすく、麺の厚みを均等にするためには、この「へそ」が欠かせません。これを一晩寝かして熟成させます。

■実感した世間の「きしめん離れ」…きしめん文化普及のためスタンプラリーも

 大学卒業後、大阪でイベント関連の仕事をしていた日比野さんは26歳の時、ある思いから家業を継ぐことを決めました。

日比野さん:
「帰ってきたら(きしめんは)食える味だったんですよ…。(でも)俺がやらなかったら食べられないんだと」

 後を継げるのは自分だけ。店の味を絶やすまいと名古屋に戻り、南区の老舗で「名古屋手打ち」の修業。4年後には、コンテストで優勝するほどの腕前になりました。41歳で3代目として店を継ぎますが、その時に強く感じたのが世間の「きしめん離れ」でした。

日比野さん:
「名古屋の人でもうどんを食べる、『きしめんはいいや』っていう。しっかり作っている者としては悔しい思い…」

 そこで始めたのが、5軒まわると500円の割引券がもらえる「きしころスタンプラリー」。県内の33軒が参加し、今年で7回目です。

日比野さん:
「5軒まわれば好みの一杯が見つかるんじゃないか。そうやって、きしころ愛をひと目盛り増やしてもらえれば」

 日比野さんのきしころ愛が、名古屋のきしめん文化を広めています。

■もっと身近なものに…「きしころ」は名古屋のファストフード

 日比野さんが作る「きしころ」作りも佳境に入ります。一晩寝かせた生地を、きしめん専用の細長い麺棒を使って、均一の薄さに延ばしていきます。

日比野さん:
「温度も違う、湿度も違う。それにアジャスト(合わせる)していく。同じものを作らなければいけない」

 折り重ねて1センチほどの幅に切ります。およそ1ミリの見事な薄さの麺が完成。2日かけて丁寧に鍛え上げた生地だからこそ、ここまで薄く延ばすことができます。

 できた麺を3分ほど茹でて冷水で締め、キンと冷やした器に盛りつけ、白しょうゆをベースとしたつゆを注ぎます。そして、宮城気仙沼のわかめと徳島のすだちをアクセントに添えます。

 日比野さんの手仕事が生んだ「すだちわかめのきしころ」(920円)。もっちりと心地よい歯ごたえに、柔らかな麺に絡んだつゆのうま味と、爽やかなすだちの酸味が口いっぱいに広がります。

日比野さん:
「僕のイメージではきしめんってファストフードなんです。もっと身近になって欲しいですね」

 名古屋が誇る夏の風物詩です。

「みそ煮込みの角丸」は名古屋市東区泉1丁目にあります。