猛暑の中で行われた東京オリンピックの女子マラソンで、愛知県豊橋市出身の鈴木亜由子選手は30キロ地点で26番手でしたが、その後、順位を上げ19位でゴールしました。

 高校時代に度重なる足の故障に泣く亜由子選手を救ったのは、オリンピックの舞台へ導くきっかけを作ってくれた恩師でした。

「支えてくれた全ての人たちのために…」。鈴木選手はベストを尽くし、ゴールテープを切りました。

■感謝してもしつくせない人…マラソン鈴木亜由子選手にとっての大切な恩師

 夏目輝久さん(72)は30年の指導経験を持つ元体育教師で、鈴木選手の恩師でもあります。

夏目輝久さん:
「(鈴木選手は)口だとか表情には出さないですけれども、相当な負けず嫌いです」

【画像20枚で見る】ベストを尽くしゴール…五輪女子マラソン鈴木亜由子 羽ばたくきっかけ作った“インターハイ請負人”

 高校時代に度重なる足の怪我に悩まされた鈴木選手。その時に救いの手を差し伸べたのが、夏目先生です。

鈴木選手:
「一番の恩師で、夏目先生がいなかったら、いま走っていないと思うので、感謝してもしつくせない人です」

■天才中学生ランナーと呼ばれるも…インターハイで度重なるケガに泣く

 鈴木選手は、中学時代に陸上800メートルと1500メートルで全国制覇し、天才ランナーと脚光を浴びました。

 最初の挫折は、高校1年(2007年)のインターハイ。足を痛めていたにもかかわらず強行出場し、右足の甲を疲労骨折。手術と長期のリハビリを経験します。

 最初の手術から8か月後。再びインターハイへ挑戦するも、同じ箇所が痛くなり2度目の手術をすることに…。

 3度ケガをしてしまえば走ることを諦めなくてはならない…。鈴木さんの父が助けを求めたのが、夏目先生でした。

■「インターハイ請負人」に託された未来…登山による身体の土台作りから再出発

 体育教師として赴任先の陸上部で次々と結果を残し、いつしか三河の「インターハイ請負人」と呼ばれるようになっていた夏目先生。噂を聞いた鈴木選手の父から、「何かアドバイスをもらえれば」と電話をもらったときは、既に教職を退いていました。

夏目さん:
「退職して他の子を指導するとか、全く考えていなかったですね」

 当時、先生が鈴木選手に宛てた手紙。

<鈴木亜由子選手に宛てた手紙>
「先生の中の何かが動き始めました。何とかしなければ。陸上競技指導者の闘志に火がつきました」

 既に一線を退いた当時59歳の夏目先生に託された1人の“ランナーの未来”。父からもらった電話の翌日には徹夜で作った「復活へのシナリオ」を携え自宅を訪れました。走ることはせず、身体の土台づくりとして提案されたのは、頂に神社も構える本宮山への登山でした。

夏目さん:
「顔を見たときに、沈んだというか生気のない顔だったから、自然の中で心を開放したり、同時に足腰が鍛えられれば…」

 再出発の旅は、この山から始まりました。

■先生のために走った試合で復活…高3のインターハイで8位入賞

 夏目先生は、ストレッチや柔軟運動の大切さを説き、週2回の登山に水泳やバイクトレーニングなど課題を次々に提案。落ち込む隙を一瞬たりとも与えませんでした。

 足への負担を考慮し自らゴルフ場にかけあって芝生の上を走らせてもらうなどし、鈴木選手の脚は日に日に強さを増していきました。

 迎えた高校3年生のインターハイの3000メートル。他の選手たちが競技用のスパイクを履く中で、1人だけジョギングシューズで挑戦します。離されても食らいつき、結果は8位入賞。

 表彰台では、はにかむことしかできませんでしたが、そこは高校時代で立った一番高い場所でした。

鈴木選手:
「『夏目先生のために走った』って言ったら大げさかもしれないですけど、過言ではない。『支えてくれた人たちのために走ろう』って純粋に思った唯一の試合じゃないかな」

■陸上の神様が最後に出会わせてくれた「贈り物」…愛弟子との別れ

 笑顔を取り戻していく亜由子さん。ただそれは、別れの時が近づいている証でもありました。

<夏目さんの手紙>
「名大(名古屋大学の練習)に行きます」という言葉を聞きました。ハンマーで脳天をガツーン殴られたようなショックを受けました。亜由子が陸上競技から離れる時までコーチをしていたいのが本音です」

 鈴木選手は、陸上競技の神様が最後に出会わせてくれた「贈り物」。指導期間はわずか1年半でした。
それでも先生が伝えた情熱は、その後10年以上鈴木選手の脚を支えます。

 オリンピックイヤーの2020年。夏目先生は立派なホールで盛大な壮行会を開催し、鈴木選手を夢の舞台へと送り出します。しかし、オリンピックは1年延期に…。

■ケガで走れなかった高校時代に再起誓った山で気持ちを新たに…走れ亜由子

 2020年6月、1度目の緊急事態宣言が解除されたころ、豊橋の実家の台所に鈴木選手の姿がありました。卵焼きを焼いて向かった先は本宮山。ケガで走れなかった高校時代に、先生と再出発を誓った大切な場所です。

鈴木選手:
「やっぱり山の空気は最高ですね。トレーニングもしつつ、心も体も元気になっていく…」

 延期となってしまった東京オリンピックへ再び向かう前に、先生と一緒に頂を目指します。鈴木選手が先生のために作った卵焼きはネギ入りです。

夏目さん:
「(食べて)うん、これ90点だよ。ありがとね、亜由子」

鈴木選手:
「良い再スタートになりました。頑張れそうな気がします」

「東京五輪のマラソンのスタートラインにしっかりと立てますように」。夏目さんは絵馬に願いを込めました。

 オリンピック間近。夏目先生からの手紙には…。

<夏目さんの手紙>
「さあ~!スタートラインは直ぐそこです。不安や迷いが有るならばそのすべてを吹っ切って 走れ亜由子」

 そして、8月7日に猛暑の中で行われたオリンピック本番。30キロ地点で26番手だった亜由子さんは、その後、順位を上げ19位でゴール。

 度重なるケガに悩まされた高校時代。あの時のように、鈴木選手は支えてくれた人たちのために最後まで気持ちを切らさず、ベストを尽くしゴールテープを切りました。

 レースを見た夏目先生は、「今回のオリンピックの結果は亜由子にとっては不完全燃焼の部分がありますが、私はこの2年間、故障を繰り返しながらもスタートラインに無事に着く事ができ、彼女が取り組んで来たことが、3回目のマラソンで結構出来ていたのではないかと思っています。全体を通しては、悔いが残る部分もあるかと思いますが…。まずは十分な休養を取り、次の目標に向かって頑張って欲しいです」と話していました。