東京パラリンピックの陸上男子100メートルに出場した愛知県瀬戸市出身の大島健吾選手は、生まれつき左足首から先がありません。大学入学を機に本格的に陸上を始めた大島選手は、2年半で日本一に輝き、陸上を始めて3年半でパラリンピックの代表に内定しました。

 8月29日に行われた陸上100メートルの予選の結果は5位で、決勝進出とはなりませんでした。しかし、普段は学童保育でアルバイトをしている大島選手は、走る姿で「頑張れば夢は叶う」ことを子供たちに伝えました。

■自分が障害持っている自覚がない…生まれつき左足首から先がないパラアスリート

 東京パラリンピックに出場した大島健吾選手(21)の100メートルの自己ベストは11秒19。アジアでも最も速いパラアスリートです。

【画像20枚で見る】東京パラリンピック陸上男子100m大島健吾 子供達に伝えた「頑張れば夢は叶う」

 三つ子の長男として生まれた大島選手は、生まれつき左足の足首から先がありません。

大島選手:
「あまり自分が障害を持っている自覚はなくて。三つ子も大きいかもしれないですね。変に特別扱いしてもらわなかった」

 高校時代は、花園出場2回を誇る瀬戸西高校ラグビー部で、相手とぶつかり合うことが多いフランカーをつとめました。

大島選手:
「高校も義足だからって別メニューという環境じゃなかった。みんな普通に接してくれたのが大きい」

高校時代の恩師:
「周りが勝っていても仕方がないって見えることも、必ず悔しがってます。負けず嫌いなんでしょうね」

 大島選手の座右の銘は、「為せば成る」。当時から、障害を感じさせない強い気持ちがありました。

■きっかけは競技用義足との出会い…陸上を始めて3年半でパラリンピックの代表に

 そんな大島選手が陸上の道に進んだきっかけは、競技用義足との出会いでした。

大島選手:
「競技用道具を使って走るなら、どこまで行けるんだろう?って思いが強く…」

 名古屋学院大学への入学を機に本格的に陸上を始めると、わずか2年半で日本一に。東京パラリンピックの代表候補に踊り出ました。

 今年の春、さらなる速さを求めて大島選手は、東京の義肢装具士のもとへ。目指している走りの課題に合わせ、義足を新調。足が取り換えられるからこそ、その可能性は無限大です。

 3月の「日体大陸上競技会」では、新たな義足とともにアジア記録を更新。さらにパラリンピック出場権をめぐる最終決戦となった4月の「ジャパンパラ陸上」では、自身のアジア記録をさらに更新し、見事代表に内定しました。

大島選手(7月15日の会見):
「東京パラに向けてずっとやってきて、成長したのはすごく感じますし、これからもっといい結果を届けられるように頑張っていきたい」

■普段は学童保育でアルバイト…東京パラリンピックで子供たちに伝えたい「頑張れば夢は叶う」

 しかし、速さを手に入れた一方で、大島選手の体には大きな負荷がかかっていました。夏前に義足側の太ももを肉離れ。世界の舞台が近づく中、走る練習もできず、モヤモヤとした日々を送っていました。

 そんな日々の中にも、大島選手には元気を貰える場所があります。多いときには週に6日、学童保育の補助員のアルバイトをしています。

 大島選手のここでのあだ名は、なぜか「よっちゃん」。昔ながらの駄菓子「カットよっちゃん」が由来です。

子供:
「よっちゃんは、いつも遊んでくれてめっちゃ優しい!」

他の子供:
「(よっちゃんは)陸上!めっちゃ足速かった。ダントツ1位だった!」

「ここは第二の家」と話す大島選手。厳しい練習が続く中、心落ち着ける場所です。そして、自らが過去に勝ち獲ったメダルが、子供たちのそばに置かれていました。

同僚の学童保育支援員の女性:
「(子供たちにとって)すごくいい経験だなと思います。頑張れば夢は叶うって、教えてもらえるから」

大島選手:
「義足で目標達成できるって伝えることができたら、みんなも色んなことにチャレンジしやすくなるかなと…。そこを伝えてあげたいな」

「為せば成る」。それを伝えるために、目指してきた東京パラリンピック。子供たちの存在は、大島選手の大きな原動力になっていました。

■結果は予選敗退も…「為せば成る」走る姿で子供たちに伝える

 今年8月。パラリンピック本番まで3週間を切り、最初で最後の調整レースとなった復帰戦。足のケガも完治した大島選手は、久々のレースにもかかわらず改良を加えた義足で自己ベストを更新。パラリンピックへの準備は整いました。

「ハンデと思ったことは1回もない」と、その“足”であらゆる記録を塗り替えてきた大島選手。

大島選手:
「本当にいろんな人に応援してもらって、支えがあって今があるので。本番にしっかり走れるようにいけたらなと」

 そして、8月29日に行われた東京パラリンピックの陸上100メートルの予選。結果は5位で、決勝進出とはなりませんでしたが、大島選手は子供たちへの思いを胸に走り切りました。

「頑張れば夢は叶う」。大島選手は、走る姿で子供たちに伝えました。