
名古屋の街のシンボル・中部電力MIRAITOWERが、「名古屋テレビ塔」として国の重要文化財に指定される見通しとなりました。完成から68年。評価されたのは、歴史的価値や技術的な価値の高さでした。
名古屋テレビ塔の大澤社長:
「率直に言って、こんなに早く重要文化財に指定いただくという予測はしていなかった。大変光栄に思います」
12日、記者会見でこう話した名古屋テレビ塔の大澤和宏社長。名古屋テレビ塔について、国の文化審議会は「歴史上価値が高く技術的な価値も評価できる」ことから、重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。

1954年、まだ辺りに焼け跡が残る中、ひと際高くそびえ立つテレビ塔。戦後間もない当時は建築用の重機も乏しく、工事の一部は人力で行いながら、およそ8年かけて完成しました。
【動画で見る】“塔博士”が熱意傾けた『名古屋テレビ塔』国の重要文化財に指定へ「歴史的価値が高く技術的な価値も評価」

当時日本一の高さ180メートル、1つのアンテナで各局の放送が見られる日本初の集約電波鉄塔でした。

このテレビ塔の誕生に深く関わったのが内藤多仲(ないとう・たちゅう)。耐震構造設計のパイオニアで、のちに東京タワーや大阪の通天閣の設計にも携わり、「塔博士」とも呼ばれました。

内藤は、名古屋テレビ塔実現のためにどれだけの熱意を傾けたのかを物語る貴重な資料が残されていました。
名古屋テレビ塔の大澤社長:
「これはみんな内藤多仲先生の図面、まさに昔の製図用紙だよね」

内藤直筆の設計図。タワーの全体像や細かい指示を加えたもの、さらに計算式がびっしり書き込まれた図面もあります。
当時最新の耐震構造理論や、180メートルの鉄塔が受ける風への耐久性など、最先端の工法が取り入れられています。

名古屋テレビ塔の大澤社長:
「(原図を見た時は)びっくりしましたよ。重要文化財の時は特に図面が全部揃っていないとダメなんです。図面が無いと全くダメ」
当時、名古屋テレビ塔の設計を監理していた日建設計。2020年にリニューアルした際、内装の設計などに携わった日建設計の若林さんは、当時の限られた資金でも高度な技術で作られていることに驚いたそうです。
日建設計の若林さん:
「高さ180メートルある鉄塔を、あれだけ経済的に少ない部材で構造設計がなされていること。地下に地下鉄が通るということもありまして、掘らない設計でできているという構造的なところも含めて、非常に優れたタワーだと」

こうして誕生した名古屋テレビ塔にはオープン当時、年間100万人以上が訪れ、展望台への順番待ちは3時間超えに。その後も結婚式など様々なイベントが開かれました。

中でも話題になったのが、展望台への階段393段を駆け上がるクライミング競走でした。

優勝したのは、当時21歳の大学生だった近藤陽洲さん。

近藤さん:
「とにかくきつかったですよね。半分以上ね、上でみんなもどしたりなんかして、近所のお医者さんを呼んで、みんな注射打ったりなんかしたんです。当時は珍しかった電気洗濯機が賞品だったものですから、お袋が喜んでくれて」
当時の印象について聞いてみると…。
近藤さん:
「とにかくこんな高い塔がないもんですから、ただ珍しかったんです。私もできて見に来たんですけども、とにかくビックリしました。立派なもので。やっぱり懐かしいというか心の故郷というか、自分の故郷ですね」

そんな市民にとっての心の故郷も、既に電波塔としての役割は終えたテレビ塔。一時は解体も検討されましたが、2020年に観光施設として全面リニューアル。中身は一新しましたが、外観や鉄骨の構造は変えずに文化的な価値を守り抜きました。

名古屋テレビ塔の大澤社長:
「戦後の名古屋を考えた時に、これが一番貴重な文化財だと。戦後復興のモニュメントだと。環境によってテレビ塔が果たすべき役割も変わってくる。時代と共にシンボルとして残るような活動をしていく」
12日の答申を受け、手続きを経て、年内に重要文化財への指定が正式決定される見通しです。