11月1日、愛知県長久手市にオープンするジブリパーク。映画『耳をすませば』の世界を再現したバイオリン工房を手掛る職人をご紹介します。その工房には、バイオリン職人の本物へのこだわりがつまっていました。

 東京・聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)。「耳をすませば」の舞台になったといわれる町。

藤井大樹(おおき)さん(35)。地球屋のバイオリン工房を監修した職人です。

【動画で見る】「耳をすませば」で職人を意識…『ジブリパーク』バイオリン工房を吾朗監督から任された職人「妥協できない」

藤井さん:
「全て本物で揃えたいという事とか、もちろんそれは道具だけではなくて楽器であったりとか、何から何まで張りぼては一切なしで本物でいきたいですっていうところからだったので」

 ジブリパークに建てられた地球屋。

そのバイオリン工房にある木材は全て本物で、実際にバイオリンを作ってみて道具の配置も決めました。

並べられた道具の多くは新品ではなく、藤井さんが自ら仕立て直したもの。

藤井さん:
「今まで僕が使っていたもの(道具)をジブリパークに出しています。後からエイジング(使い込んだような加工)をやるよりも、1番リアルなので」

楽器を作る時に出た「木くず」も、藤井さんの工房から持ち込みました。

藤井さん:
「どんな作業するかによって、出る木くずのカタチが全然変わってくると思うので。あの時、聖司君がやっていた作業は、(バイオリンの)渦巻の喉の下の部分の所を削っている作業なので、そんなに大きな木くずは出ない所ですね」

バイオリン作りは0.1ミリ単位。わずかな差が音に大きな影響を与えます。

 岐阜県美濃加茂市で2歳から中学2年生までを過ごした藤井さん。4歳でバイオリンを始め、「耳をすませば」を見たことがきっかけで職人を意識するようになりました。

そして、映画で天沢聖司が目指したバイオリン作りの本場イタリアのクレモナに留学しました。

藤井さん:
「留学してから『聖司君って実際どんな感じだったんだろうな?』みたいなのは、やっぱり現地に行ってみると、自分以外にもいっぱい色んな聖司君が日本から来ていて、それぞれみんな自分の夢を持って来ている人たちなので、こういう所に聖司君もいたんだろうなみたいなのは考えたりしましたね」

8年の修行を終え、帰国後、映画の舞台といわれる聖蹟桜ケ丘に工房を構えました。

藤井さん:
「覚えている指示としては、『藤井さんがときめくような工房を作ってください』っていう言い方だったので。今だから本音で言えることがあるとすれば、もうちょっと細かいオーダーがむしろ欲しかったぐらいで、結構信用してくれていたとは思うんですけれど、割と『藤井さんにお任せ』っていう感じで言われていて」

宮崎吾朗監督の言葉に「妥協できない」と思った藤井さん。海外の職人仲間にも声をかけ、1年かけて仕上げました。

藤井さん:
「窓際に置いてある楽器とかに関しては、音が良くなきゃいけないので、あれは実際に音もちゃんと良く鳴るように、ちゃんと1個の楽器として演奏できるように考えて作られています」

藤井さん:
「特に聖司君の場合は、これからバイオリン作りを勉強していこうっていう状態なので、作るうえで変にわざと下手に作るとか未熟っぽく作るというのは、どうしても嘘が出ちゃうかなと。手順や作り方に対する考え方とかアプローチというのは、僕がイタリアに留学して本当に最初に習っていた時のやり方とか、そういうところから引っ張り出してきて、初心に帰ってという感じですかね」

美しく艶やかなバイオリンを、ジブリパークで末永く楽しんでもらえるように…。窓ガラスにはUVカット加工を施し、空調管理にも細かな指示を出しました。

藤井さん:
「バイオリンは触ってもいいように、多少ちょっと強めの作りにしてあったりとか、後はもう何かあったら直しに行こうという感じで、すぐ東京から駆け付けます」

地球屋のバイオリン工房は、職人のバイオリンを愛する気持ちから生み出されていました。

藤井さん:
「今でも『耳をすませば』が地上波とかで放送されると、その翌日とかに『バイオリン職人になりたいんですけど、どうしたらいいですか?』とか、そういうお問い合わせっていまだに全然あるんですよね。バイオリン工房っていう空間自体が入るのは初めてという人もいっぱいいると思うので。何度来ても新しい発見があるように、仕掛けはいっぱい作っている。何度も足を運んでもらって、楽しんでいただければなと思います」

※大樹バイオリン工房は完全予約制です