性感染症の「梅毒」が全国で急増しています。500年ほど前の戦国時代からあったといわれ、徳川家康の子供も感染していたという梅毒の歴史について取材しました。

 キスなどでも感染することがあるという、細菌性の性感染症「梅毒」。感染すると性器や口にしこり、体に発疹が広がることもあります。

 早期の治療で完治しますが、長期間放置すれば臓器などが深刻な症状になることもあるほか、妊婦が感染すると流産や死産のリスクが高まるとされています。

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 2022年は全国で1万2966人が感染、東海3県でも前年の1.7倍となる976人が感染し、いずれも1999年以降、過去最多となっています。

 愛知県知立市にある「総持寺(そうじじ)」。大河ドラマで話題の徳川家康の側室「お万の方」生誕の地といわれています。

「お万の方」が産んだのが徳川家康の次男・結城秀康で、総持寺の中村駿佑副住職によると、30歳ぐらいで梅毒によって亡くなったと伝えられています。秀康は梅毒の症状で鼻が欠けていたともいわれています。

 梅毒はいつ頃からあるのか、歴史医学に詳しい名古屋外国語大学・世界教養学部の福田眞人教授に話を聞きました。

福田教授:
「恐らくはコロンブスがスペインに連れて行った人たちから感染した人たちが、また別の人たちに梅毒を広げていった」

 日本では1512年に梅毒感染の記録が残っているといいます。その後、名古屋城を建てた加藤清正や、豊臣秀吉の参謀・黒田官兵衛らも感染するなど、戦国時代に大流行し、その勢いは江戸時代にも続きました。

福田教授:
「徳川家康の次男、結城秀康さんが非常にはっきり分かっていて、鼻がなくなり、それを彼はなんとかみんなに見られないために木の鼻をつけたので、徳川家康が『会わない』と言って二度と会うことはなかったらしいです」

 また『解体新書』の著者として知られる杉田玄白も、随筆で梅毒患者について触れていたといいます。

福田教授:
「杉田玄白という非常に有名な『解体新書』を書いた人が、彼の随筆の中で『自分は1000人くらい面倒をみると700~800人、つまり7~8割くらいは梅毒患者の面倒を見ている』という文書を残していますので、はっきりわかっている」

 なぜ当時、梅毒が流行したのでしょうか。

福田教授:
「娼妓といわれる人たちが非常に多く梅毒に罹患し、自分の周りのお客さんにどんどん広がっていった」

 江戸だけでも30~40ほどあったという「遊郭」などで、梅毒患者が急増していったといいます。その後、昭和の時代に入ると、ペニシリンの普及で感染者数は激減しました。

 現在、梅毒が再び猛威をふるっている理由について、性感染症に詳しい丹羽咲江医師は、「個人売春、援助交際、パパ活といったもので不特定多数の人とセックスをすることが原因ではないか」としています。

 2022年の愛知県の感染者を年代別に見ると、男性が20代から50代に多いのに対し、女性は20代が6割を占めています。

 その対策は…。

丹羽医師:
「不特定多数の人との性行為をやめることです。あとは、おかしいなと思ったら病院に行くこと。セックスに伴うリスクは『予期しない妊娠』もありますし、『性感染症』に感染してしまうリスクもあります。誰かと付き合ってセックスをしようということになった時点で、病気がないかどうかをお互いに調べて、安全だなと思った人とセックスをするというのが一番重要だなと思います」

 丹羽先生は「感染拡大防止には早期発見も大切」としていますが、順天堂大学の研究グループにより開発された「STI(エスティーアイ) OMOIYARI(おもいやり)」というアプリが話題となっています。

 自覚症状や体の不調などの項目をチェックしていくと、自分が罹患している可能性のある性感染症を確認することができます。保健所など最寄りの検査機関も検索できるようになっています。

2023年1月27日放送