春になり、2025年も各企業や団体などで、入社式が開かれました。過去に取材した入社式を振り返ると、その時代を反映する式典が行われていました。

■5年で価値観も大きく変化…バブル前夜の1980年代前半の入社式

 1980年(昭和55年)のトヨタ自動車(当時はトヨタ自動車工業・トヨタ自動車販売)の入社式では、当時の豊田英二社長が訓示で、「本年1月には創業以来、生産累計3000万台を達成することができました。世界第3位の自動車メーカーの地位を占めることになりました」とあいさつしました。

【動画で見る】企業戦士の決意から椅子の除菌まで…『入社式』が映す昭和・平成・令和の時代 バブル期の新人「自信と期待で…」

この年は、2度のオイルショックを経て、バブル景気に向かい、経済が上向きになっていたころです。

このころは、高度経済成長期が生んだ「モ―レツ社員」の流れを汲む、自らを犠牲にしてまで会社のために尽くす昭和の「企業戦士」が称賛された時代でした。

新入社員へのインタビューからもその様子が伝わってきました。

新入社員:
「私としましてはトヨタの1つのネジになれたらいいと思います」

それから5年後の1985年(昭和60年)、新人類世代と呼ばれた新たな価値観や、感性をもった若者が大学を卒業し、社会へ出るようになった頃です。

同じくトヨタの入社式で、この年の新入社員にマイクを向けると…。

Q. 仕事をする第一の目的は何になりますか?
新入社員:
「それはやっぱり、生活していくということになると思います。もちろん今は独身ですが、将来は家庭をもってですね、家族を養っていく、生活の基盤として僕は受け取っています」

Q.社会的な義務や自分の能力を生かすためにやるという人もいますが?
新入社員:
「それは僕にとっては、副次的になるかもしれませんね」

■バブル期にはまるでファッションショーのような入社式も

 そして1986年(昭和61年)、日本はバブル景気に突入しました。翌1987年(昭和62年)の、ユニーグループのマンモス入社式では、ファッションショーさながらの演出がされていました。

ユニーの入社式ではそれより過去も、ショーのようなものは確認できましたが、1987年は特に景気のよい言葉が飛び交っていました。

西川敏男社長(当時):
「1096人という、1000人を超す…」
新入社員:
「いま、自信と期待で輝いて見えます」

しかし、バブルが崩壊した直後の1991年(平成3年)のユニーグループの入社式では…。

服装は、まだバブルを引きずっているようですが、にぎやかな演出は確認できず、式自体のトーンも抑えているようでした。

■東海地方でも発見「ユニーク入社式」

 映像を振り返ってみると、「特別な入社式」を実施している企業もあります。

翌年の2006年(平成18年)、三重県鳥羽市の鳥羽水族館では「水中入社式」を始めました。

スキーブームの真っただ中の1994年(平成6年)には、スポーツ用品の生産・販売を行う「アルペン」が、スキー場で入社式を行っていました。

アルペンの水野泰三社長(当時):
「スキー場で(入社式を)やっているのは、うちだけじゃないかなと思います」

2016年(平成28年)の映像で、新入社員が号泣していたのは、「焼肉きんぐ」などの飲食店を展開する、愛知県豊橋市の「物語コーポレーション」の入社式です。

「慣れないことも多いと思いますが、先輩や仲間を信じ、みなさんの力になれるように頑張ってください」

親などからの「サプライズメッセージ」が披露される演出です。

加治幸夫社長(当時):
「飲食(業界)はあまり人気がないから、1回2回はみんな反対されているはずなんですよ。ご両親も『きょうは応援してくれているよ』という証拠をみんなに見せたいと」

■就職を「結婚」に見立てて挙式風で行う企業も コロナ猛威の2021年“入庁後の初仕事”は

 2023年の映像には、愛知県稲沢市の企業でユニークな入社式の様子が残っていました。

チャペルでバージンロードを進む、若者たち。

ブライダルの会社ではなく注文住宅を手掛ける「アッシュホーム」の入社式です。結婚式に見立てた、理由を社長が語っています。

小澤裕昭社長:
「入社って結婚とよく似ているような、人生を共にするという意味で」

各社、若者の入社に華を添えるため、試行錯誤する歴史が記録されていました。

そして、新型コロナが猛威を振るった2021年は、入社式や入庁式にも影響がありました。

岐阜県庁での式はリモートで行われ、三重県庁では、式のあとさっそく取り掛かった公務員としての初仕事が、自らが座った椅子の除菌でした。

2025年4月11日放送