高井アナの空言舌語

東海テレビアナウンサー高井一が、正しい日本語の読みや、謂れをご紹介します。

2002/7/5
六、
たち・ら・など
 ひとつの言葉から受ける印象=「語感」は微妙に個人差があります。それが混乱や論争の原因になることもあります。
 語感の違いから、放送の現場でいろんな意見が出てくるのが、複数の人を意味する「たち」「ら」「など」の使いかたです。例えば、「学生たちが…」「学生らが…」「学生などが…」と聞くと、それぞれにどんな印象を持つでしょうか。
 微妙に違うものがありますね。まず「学生ら」「学生など」というと、学生以外の人も含んでいそうな気がします。このふたつも、「ら」と「など」では、「など」のほうが範囲が広く曖昧な感じもします。
 さらに「ら」にはもうひとつ、相手を見下げるような雰囲気があることを見逃すわけにはいきません。「奴ら」「お前ら」がその典型でしょう。その点、「たち」は単なる複数を表す語とされています。
  そんなわけで、放送で複数の人を表現する時には、「ら」の使用は避け、「たち」か「など」を使おうという考えかたが主流になってきました。東海テレビなどのフジテレビ系列放送用語も、そのように取り決めています。
  ところが、この問題はそう簡単ではありません。「ら」のほうが違和感がない場合もあるのです。
  「○○大臣らの視察団が」「○○大臣などの視察団が」、あるいは「薬害被害者らが」「薬害被害者たちが」の印象を比較すると、この二例では、むしろ「ら」が適切という気がしてきます。皆さん、どうでしょうか。
  私は、こういう複数表現で判断に迷う時は、可能な限り「ら」や「たち」を省略するようにしています。日本語は単数 ・複数の意識が薄い言語なので、「学生が」「被害者が」でも十分に複数の存在を表せると考えるからです。日本語は基本的に単複同形とする学者もいるようです。
  こういう日本語の曖昧さは、永遠に解決しそうにありません。しかし、そんな不可解さがあるからこそ私にとって最適表現探しは面白いのです。