二百九、
2011/6/13
痛んでいる
スポーツ中継で、選手が負傷して痛がる様子を「痛んでいます」と表現する実況を聞くようになりました。最初はサッカー中継が使い始めた記憶があります。今では野球中継でも聞くようになりました。大いに違和感がある表現です。
先輩アナウンサーが「傷んでいる」と実況するのを聞いたことはありませんから、近年登場した言葉です。
痛みを表現するのに「痛んで」を使うとすると、「膝が痛んで立ち上がれない」「心が痛んでしかたない」のように、痛みを感じる部位を主語にします。それを「選手は痛んでいます」と痛みを感じる人を主語にすると、物が損傷したり腐敗する「傷む」のような印象となります。違和感の理由はこれでした。ですから「選手が痛んで…」は、誤用あるいは言葉足らずだと言いたくなります。
この問題をスポーツアナウンサーと話したら、面白い話を教えてくれました。
「痛んでいる」は、もともとサッカー、ラグビーの指導者や選手が使っていた言葉だそうです。いわば「内輪言葉」「俗語」だったのです。それを報道するメディアも使い始めたのが実情だそうです。つまり、内輪の言葉が外の世界に浸透したのです。
プロ野球の勝敗差を表現する「貯金」「借金」も、ベンチが使っていた言い方を報道が使い始めたのだそうです。こちらは「4連勝で借金生活を脱した」などと、すっかり定着しました。すると面白いもので、「借金・貯金では余りに金銭的で生々しい」という気がして、「勝ち越し・負け越し」と正確な言い方をしたくなることもあるそうです。
スポーツ以外でも、若者が使う「マジ」「ツッコミ」は、楽屋言葉がテレビ電波に乗って広まったものです。
言葉の世界は多勢に無勢。誤用・俗語であっても大勢が使えば市民権を得てしまいます。「痛んでいる」はどうなってゆくでしょうか。