二百四十、
2013/1/30
連濁
日本語には連濁(れんだく)という現象があります。ふたつの語がつながって複合語になる時、後の語が清音から濁音に変わるものです。こう書くと難しそうですが、「春」「霞(カスミ)」=「春ガスミ」、「花」「火(ヒ)」=「花ビ」と、普段は無意識にやっていることです。それが最近は、その連濁が忘れられつつあるように思えます。
例えば「生牡蠣」。漢字で書いてあると「ナマガキ」と濁って読めますが、飲食店のメニューなどでは「生かき」と書かれていたりします。ひらがなで「がき」と書くのは抵抗があるのでしょう。「生かき」と書いてあっても、読みは「ナマガキ」と濁るのが連濁です。ところが、濁点なしの「かき」に引きずられて、「ナマカキ」と発音する人が少なくないのです。テレビのナレーションでも聞くことがあります。
京都の名物「鯖寿司」も、上品に「鯖すし」と書かれていたりします。これも「サバスシ」と読む人がいそうです。
漢字で書いてあっても、「名台詞」を「メイセリフ」、「木綿豆腐」を「モメントーフ」、「鷹匠」を「タカショー」と、本来の連濁を忘れて清音で読んでしまうのを、しばしば耳にします。
連濁はいつでも起こるわけではなく、発生には一定の条件があります。複合語の前部と後部が並列関係なら起こりません=「好き嫌い」「飲み食い」。ところが、前部が後部を修飾する関係だと連濁が発生します=「食わず嫌い」「買い食い」。
連濁は様々な条件で発生します。残念ながら法則化しようとしても例外が多く、簡潔に説明できないのが難しいところです。どうしても、経験的判断となります。
屋根を瓦で葺く作業は「瓦フキ」で、瓦で葺かれた屋根なら「瓦ブキ」。こういう使用頻度の少ない言葉は、迷ったり間違えたりが起こりそうです。
「酒造り」「作付け」「願掛け」は、最近アナウンサーを悩ませた例です。辞書でも判断が分かれています。皆さんの語感ではどうでしょうか。私は連濁するほうが言葉の意味が強く伝わるように感じます。
連濁が消えてしまうと、言葉がスカスカになってしまいそうです。昨今の減少傾向がとても気になります。