ウクライナから避難してきた夫婦が、愛知県安城市で新生活に向け動き始めました。2人を受け入れたのは、キーウで日本語を教えていた夫婦です。日本で直面した文化の違いとは…。

 10日、JR三河安城駅に到着したウクライナ・キーウ出身のルスランさん・リディアさん夫婦。

 ロシア軍の爆撃を3回受けて自宅は崩壊。ポーランドを経由して日本へ避難してきました。

2歳と4歳の娘連れキーウから日本へ…ウクライナから避難してきた日本人女性 道中で感じた“人の温かさ”

 2人が頼ったのは、葛西孝久さん(71)・不二恵さん(70)夫婦です。実は2人…。

不二恵さん:
「24日の朝、警報が鳴りだして」

孝久さん:
「僕たちが出る駅の線路の所に2発落ちたんです。(ロシア軍が)キーウに来るなんてことは100%誰も思っていなかった」

 12年前に中学校を早期退職してキーウへ移住し、夫婦で日本語学校の講師などをしていました。

不二恵さん:
「真っ暗でシェルターの中にいる時に、ほんのちょっとの段差のところで転んでしまったんです」

 不二恵さんはシェルターで足を骨折。数々の苦労を経て、3月20日に帰国しました。そのとき届いたのが、かつての教え子からの”SOS”でした。

孝久さん:
「(ルスランさんから)『私と妻は日本へ行くことを希望します』と書いてあります。『わかりました』と、二つ返事です」

 避難してきたルスランさん夫婦が当面生活するのは、隔離期間用の仮住まいのアパート。しかし、ここは異国の地。部屋の中にはベッドではなく「布団」が…。

 糖尿病を患っているため、男性でありながら特別に出国が許可されたルスランさん。葛西さんも食事に気遣います。

 用意したのは硬めのパン。ここにも文化の違いがありました。

不二恵さん:
「硬いパンが主流で、日本みたいに柔らかいパンは皆さんほとんど食べられない」

 このあと、コンビニの前に向かったリディアさん。

リディアさん:
「母と姉にメールを送った。『こっちに無事に着きました。とても暖かく受け入れてくださったから安心してください』と」

 コンビニのWi−Fiを利用して、今もキーウに残る母と妹へメッセージを送信。在留資格がまだ短期滞在のため携帯電話の契約ができず、こうしてWi-Fiを使っています。

ルスランさん:
「生きることができるという希望を心の中に持って。日本に温かく受け入れてもらったので、仕事を探して恩返しできたらいい」

 11日、孝久さんはルスランさん夫婦に代わって、県営住宅への入居手続きをしていました。

孝久さん:
「(コンロは)ウクライナは普通4口ですもんね。煮込みのスープ料理が多い」

 畳の部屋。でも落ち着いて生活してほしいと、無償で提供される県営住宅に申し込んだ孝久さん。

 ルスランさん夫婦は自主隔離の期間が終わる1週間後に入居する予定で、孝久さんは働き口も探しているといいます。

孝久さん:
「(ルスランさんには)『いい仕事ないですよ』と言ったんですけども、『爆弾が落ちてくるよりいいので日本で働きます』と言われたので」

 孝久さんは12日、安城市長を訪ね、医療面での支援なども要請しました。

孝久さん:
「医療面を大変心配しております」

神谷安城市長:
「またウクライナの人たちがたくさんみえるかもしれないので、その際には(商工会に)『みなさん、仕事をとりもってあげてください』と」

 避難してきた人たちの新生活に向け、サポートが広がり始めています。