ウクライナの首都・キーウから、幼い娘と帰国した日本人の女性が、三重県伊賀市にいます。避難のさなか、ウクライナと日本で感じた人の温かさとは…。

 ウクライナの国旗の色にライトアップされた名城・伊賀上野城。この街で4日…。

浅井さん:
「私もウクライナから沢山の人に助けられてここまで、日本まで帰ってくることができました」

 伊賀市役所で取材に応じた浅井絵利香さん(36)。9年前にウクライナ人の男性と結婚し、首都・キーウに住んでいましたが、3月、2歳と4歳の娘2人を連れて実家がある伊賀市へ避難してきました。

浅井さん:
「『ドーンドーン』ってすごい大きな音がして、戦争がはじまったんだなっていうのがわかりました」

 浅井さんは3月4日、幼い娘たちの命を守ろうと、ウクライナ人の夫と義母を自宅に残し、スロバキアへ電車で避難しました。そして、難民のテントで出会ったボランティアの車でチェコまで移動したのち、首都・プラハから飛行機に乗って1週間かけ、やっとの思いで日本へ帰国しました。

浅井さん:
「国境を越える時も、小さい子供と荷物を持っている事で、(ウクライナの人は)本当は自分たちが一番しんどいのに私のためにみなさん荷物を運んでくれたり、温かい声をかけてくれたり」

 ウクライナの人たちの優しさ触れた浅井さん。帰国後も支援の輪を広げようと、避難の際に娘たちがお守りとして身に着けていたスカーフなど、わずかに持ち帰った品々を市役所で展示することにしました。

 一方で、インターネットで目にした生まれ育った伊賀市の支援にも、浅井さんは勇気づけられたといいます。

浅井さん:
「国境を越えたあたりの時に、和菓子屋さんがウクライナのデザインのかたやきを販売されたって、チャリティーとして出されたって聞いて、『頑張って日本に帰ろう。伊賀に帰ろう』って思いました」

 帰国後、実家の父と娘が伊賀市内の和菓子屋へ行き、国旗を模した「かたやき」を購入。第二の故郷・ウクライナに残した大切な家族のために、今も食べずに持っています。

浅井さん:
「ウクライナに戦争に勝って帰ったら、お父さん(夫)にお土産に買って帰ってあげようと言って大切に残してあります。主人と家族や親戚、友達がウクライナに残っているので、全然まだほっとした時間というのは正直あまりないのが現実です。小さなことから一つずつウクライナの事を知ってもらって、みなさんにウクライナの事を身近に感じてほしい、忘れないでほしい」