東海豪雨による被害から20年。川の決壊がいかに大きな被害をもたらすのか、私たちは目の当たりにしました。

 その経験から得た教訓を語り継いでいかなければならない…。名古屋市西区で当時被害に遭った人たちが集まって集会が開かれました。

 2000年9月11日。東海地方を襲った「東海豪雨」。台風と秋雨前線がもたらした大雨によって、およそ7万棟が浸水し10人が死亡しました。

 あれから20年。豪雨によって堤防が決壊した名古屋市西区の新川沿いの公園では11日朝、被災した住民らおよそ30人が、「911」「20」の形に並べられた灯篭に火を灯し、犠牲者に黙とうを捧げました。

被災した住民女性:
「車やドラム缶がダーっと流れていくから。すごい光景だよね、見たことのない」

東海豪雨を語り継ぐ会の代表:
「20年で風化していくが、危険であり続ける限りは、災害があったよということを伝えないといけない」

 あの経験を忘れず多くの人に伝えていきたい…。毎年開かれている集会に参加した人たちの思いです。

(リポート)
「名古屋市天白区野並でも、20年前の豪雨で広い範囲が浸水しました」

 川に水を流す排水ポンプが機能せず、内水氾濫が起きた天白区野並。2800世帯が茶色い水に飲まれました。当時被害にあったお宅にはその痕跡が残っていました。

 床上2メートルの浸水。2階に避難して助けを待ったそうです。

被災した女性:
「2階のベランダから出てったのね。下までボートが来て、自衛隊のボートが来てね、それで乗せてもらったんだけど」

 野並は住宅と町工場が混在する地域です。浸水被害に遭ったという工場を訪ねると、壁には今も黒い染みが残っていました。

浸水した工場の従業員:
「2メートル20センチくらいまで来てたので。あの柱があるじゃないですか、あのあたり超えるくらいまで水がきて」

被災した男性:
「バスとかも浸水して、屋根の一部しか見えないくらいだったので」

 その映像が東海テレビにも残っていました。車体の半分以上が水に浸かり、屋根から下のわずかな部分が見えています。

 豪雨がもたらした水の恐怖。当時を知る人々の心には20年たっても鮮明に残っています。

被災した女性:
「今でも雨が降るとびくびくしてます。やっぱりすぐに避難できるんだったら、避難したほうがいいよね」

 東海豪雨から20年。いつ起こるか分からない災害に備えるためにも、あの日の教訓を広く共有することが大切です。