死者58人、行方不明者5人を出した2014年の御嶽山噴火から、27日で6年となりました。

「息子を連れて帰りたい」噴火で行方不明者となった当時19歳だった息子を、父親は今も探し続けています。

 岐阜と長野の県境に位置する御嶽山。秋が訪れはじめた山…。27日は早朝から慰霊のために山頂を目指す多くの登山者の姿がありました。

 そして、麓の長野県王滝村では噴火の時刻に合わせ、黙祷が捧げられました。

 死者58人、行方不明者5人を出した御嶽山の噴火から6年。毎年行われている追悼式は、今年は新型コロナ対策で、参列者は例年の半数ほどのおよそ60人となりました。

 長男の亮太さん(当時19)が行方不明となった愛知県刈谷市の野村敏明さん。あれから6年…。今も、亮太さんを探し続けています。

 登山中に噴火に巻き込まれた亮太さん。野村さんは自宅から麓に駆け付け、帰りを待ち続けました。

野村さん(2014年):
「早く家に連れて帰りたい、それだけです」

 噴火から1週間に渡って行われた自衛隊などによる捜索では、亮太さんは見つかりませんでした。

 その翌年の再捜索。山頂や噴火口から近い、「八丁ダルミ」と呼ばれる登山道から、亮太さんのストックやリュックが見つかりました。さらに、最後まで使っていたとされるスマートフォンも…。

「あとは息子だけ…」捜索は打ち切りとなる中で、思いは募る一方でした。

 噴火から2年が経っても山頂付近への立ち入り規制が続き、八丁ダルミには近づけないまま。必ず迎えに行く、そう決意した野村さんは、自らドローンを使って捜索しますが、思いは届きません。

 その後も立ち入り規制は続き、亮太さんに会えないまま流れる時間。しかし、噴火から6年が経とうとしていた8月…。

野村さん:
「6年かかってようやくという散々待ちわびたという思いはあります」

 麓の王滝村の協力で、噴火後初めて「八丁ダルミ」での独自の捜索が許されました。

 噴火当時、亮太さんと山に登った野村さんの兄・正則さんらとともに八丁ダルミを目指しますが、雨と霧に阻まれ捜索は中止に…。

おじの正則さん:
「亮太ー!」

野村さん:
「もうちょっと待ってくれたら必ず探しに来るから」

 その3週間後の8月29日。再び捜索に訪れた2人は、ついに八丁ダルミに到着しました。

 2人がスマートフォンで確認しているのは噴火直前に撮影された一枚の写真。リュックを近くの岩に置いて、休憩しようとする亮太さんです。足元には、薄っすらと赤い石が写っています。

おじの正則さん:
「その石を確認できれば、たぶん亮太が立っていた場所も確認できるんじゃないかと」

 それから4時間の捜索で、探していた赤い石と、そこから逃げたと思われる方向は推定出来たものの、今回も亮太さんには会えませんでした。

野村さん:
「起点になった最後の写真を撮ったところで献花という形で慰霊をさせてもらって。そこに亮太がいるんだと改めて実感できた。亮太には申し訳ないけど、まだちょっと時間がかかっちゃうけど、『もう1回出直して捜索行くよ』と伝えてきた」

 噴火から6年…。亮太さんの捜索は続きます。