
現役時代にアメリカに野球留学した、中日ドラゴンズのOBでプロ野球解説者の山本昌さんが「自分がもし大リーガーになっていたら」との質問に答えた。
山本さんは1984年にドラゴンズ入団したが、満足のいく成績が挙げられず、入団5年目の88年に、ドジャース傘下の1Aリーグでマイナー生活送ることになった。
野球留学という立場上、ほかの選手たちとは条件が違う面はあったが、特別な待遇を受けたわけではない。その中で厳しいマイナー生活を送りながら実績をあげて、メジャーから声がかかるところにまでなった。メジャーの複数の球団からドラゴンズに打診があったという。
メジャー昇格の話を聞いて、「日本で実績をあげていないのにアメリカに行って半年で急に変わるわけがない、でも注目される」と、当時の星野監督はGoサインを出したと山本さんは話す。しかし当時、主力の左腕が故障し、山本さんに帰ってきてほしいという球団事情があったようだ。
「もし、メジャーに行っていたら」と聞くと山本さんは、「歴史が変わっちゃっている」と答えた。
その意味を聞くと、日本人のメジャー挑戦のパイオニアは「野茂英雄」と指摘し、「野茂だったからこそ日本人選手が優れていることがわかった。僕だったら全然、そうなってはいない」と、冗談交じりに話した。
「プロ野球選手として、日本で活躍するのが夢だった。活躍した後だったらと言われたら、それでもちょっとねえ」と、やはりメジャーに行かなかったことは正解だったと再確認の言葉を口にしていた。
東海ラジオ『ドラゴンズステーション』より