中日ドラゴンズOBの山本昌さんが、東海ラジオの「山本昌 野球人生道」で現役時代のアメリカ留学で得た3つの収穫を語った。

 山本さんは1988年、ドラゴンズ入団5年目のアリゾナキャンプから、そのままアメリカに残ってマイナーリーグでプレーした経験を持つ。留学時代に学んだことについて聞かれると「まず、スクリューボールを覚えたこと」を挙げた。

 日本では覚えた変化球を使う場合には、山本さんによると、まずコーチに見せてコーチの判断があって初めて試合で投げられる環境だったそうだが、「アメリカは何をやってもいい」環境だったため、試合で変化球を試す機会が多かったことがスクリューボールをマスターできた理由だったという。

 留学当時、アメリカではマイナーリーグでも4月から8月の間に、150試合が組まれていたそうだ。当時日本のファームは、同じ期間で80試合ほど。日本では1チームの選手が40人ぐらいだったが、アメリカは25人ほどだったため、アメリカの方が出場機会が多く、山本さんは「試合に使ってもらう数がすごく多くて、勉強になった」と振り返った。

 登板回数が多く、長いイニングを投げる経験も積み、デーゲームが大半の日本のファームと違って試合数の9割がナイトゲームで、ナイターに慣れることができたこともできた。

 山本さんは「ナイター慣れ、長いイニング、スクリューボール、この3つが大きかった」とアメリカ留学の収穫を語った。

 野球留学した1988年は、ドラゴンズが優勝争いを続けていて、シーズン終盤に山本さんは急遽、日本に呼び戻されることになった。帰国後すぐ、ファームの試合で投げたときは「意外と通用するかもな」と手応えを感じた。

 そしてその後山本さんは1軍に上がり、プロ初勝利。そこから5連勝で優勝に貢献した。