元・第72代横綱 稀勢の里の荒磯親方が東海ラジオの『荒磯親方 横綱人生道』で、リスナーからの質問に答えて「力士とケガ」について語った。

 リスナーからの質問は「あれだけ激しい稽古や取り組みを続ける中で、ケガを完治させるのは、なかなか難しいのではないか。満身創痍の体とどう向き合って、相撲を取っていくのか」という内容。

「すごくいい質問」と荒磯親方は感心し、「あれだけ大きな体と体がぶつかるのだから、ケガは付き物」と言った後、自身のケガについて話し始めた。

 荒磯親方は17歳の頃に左の手首を骨折し、「腕をついて立ち上がるのも痛いぐらい。しっかりテーピングで固めて(手首に負担が少ない)おっつけの形をとることで、おっつけが強くなった」と「ケガの功名」を明かした。

 新横綱の場所では左の大胸筋と上腕二頭筋の部分断裂と、左腕から胸にかけてを大ケガ。左腕がほとんど動かない状態で、「大胸筋断裂のときには、ある一定の位置でしか力が出なかった」と当時を振り返った。

 大ケガをした翌場所は、「治療がうまくいき、自分の中では場所に間に合ったと思った」と出場したが、「やはり稽古場と本場所とでは違うことを痛感した。本場所では微妙な数センチのズレというか、その瞬間にやられてしまうことがあった。そのズレがだんだんと大きくなっていった。毎場所毎場所そんな感じだった」と苦しかった当時の状況に触れた。

 復活した照ノ富士については、「強くなって帰ってきた。どんな肉体をしているのか。どんな精神力なのか聞いてみたい」と、高く評価した。

 引退会見の時には「一片の悔いもなし」と言った荒磯親方だが、引退を決意する原因となったケガについては「一片の食いありかなあ。弟子にはケガをさせないというのが荒磯部屋の理念」と改めて誓った。