トヨタ自動車会長就任を発表した豊田章男さんの、社長としての歩みをまとめました。

 2009年に14年ぶりのトヨタ創業家出身の社長となりましたが、いきなり厳しい船出となりました。

豊田章男氏の社長就任会見(2009年):
「一期でも早く利益を上げて納税できるようにすることが、どん底からスタートする私の最初の目標であります」

 当時はアメリカ発の金融不安「リーマンショック」の直後。2009年3月期の決算は、創業期以来の赤字に転落しました。「トヨタショック」と言われ、東海3県の経済にも大きな衝撃が走りました。

 翌年の2010年には、アメリカや日本で大規模なリコールを実施。社長自らアメリカ議会の公聴会に出席するなど、対応に追われました。

 就任当初はまさにいばらの道でした。2011年には東日本大震災があり、東北の生産拠点が大きな被害を受けたほか、1ドル75円の超円高にも苦しみました。

 販売台数を追わない方針を示して立て直しを図り、その後はアベノミクスの追い風も受けて、2015年に日本企業として初めて純利益が2兆円を突破します。

 世界一の自動車メーカーの地位を確立させた一方で、ハンドルを握る社長としても注目されました。「モリゾウ」のニックネームでレースにも参加するなど、個性がないと言われがちだったトヨタのイメージを変えていきました。2019年のスープラ復活はその1つの象徴です。

 このタイミングでの社長交代について、豊田社長は次のように話しています。

「私はどこまで行ってもクルマ屋。クルマ屋だからこそトヨタの変革を進めることができたが、クルマ屋を超えられないのが私の限界。新社長を軸とする新チームのミッションは、トヨタを“モビリティーカンパニー”にフルモデルチェンジすること」

 自動車業界は今、100年に1度といわれる大変革期を迎えています。クルマづくりだけでは生き残っていけないのではないかという危機感が背景にあります。

 モビリティーカンパニーというのは、クルマを売るメーカー企業から、移動に関わる様々なサービスを提供するサービス企業へと大きく舵を切っているということです。

 実際に、情報系の企業と積極的に提携したり、色々な交通機関を結びつけるアプリを開発したり、静岡県にウーブン・シティを建設したりしています。

 こういう変革期の舵取り役には、創業家出身で66歳を迎えた自分ではなく、53歳の若い佐藤恒治さんに期待したいという意向のようです。26日の会見でも「次世代が作る未来にかけてみたい」と話していました。