愛知県一宮市に、西尾張地域で唯一のスケートリンクがあります。このスケート場は、2022年3月末での閉館が決まり、56年の歴史に幕を下ろします。地域に愛されてきた市民のスケート場の最後のシーズンを取材すると、別れを惜しむ多くの人たちが訪れていました。

■氷上で滑るのは爽快…地域に親しまれてきた市民のスケート場

 一宮駅から北東におよそ1キロの所にある「一宮市スケート場」は1965年の開業以来、一般の人はもちろん、本格的なフィギュアスケートの練習や親子スケート教室など、多くの人に愛されてきました。

【画像20枚で見る】56年の歴史に幕…地域に愛されたスケート場3月末閉鎖へ 相次ぐ「寂しい」の声

 オープン直後の午前10時過ぎ、リンクにはたった1人で滑る男性が…。

男性客:
「朝イチから誰もいないリンクで…。氷上で滑るのはこういうことなんだって、心の爽快感」

スケートを始めたばかりという男性は、その魅力にはまり毎週通っているといいます。

午前中のまだ人が少ない時間帯は、上級者が多いそうです。

 11時頃になると徐々に家族連れが訪れ始めました。

父親:
「子供がずっとスケート来てみたいと…。滑るのは30年ぶりくらい。小さい頃やっていた感覚と、親子で滑る感覚とでは変わって楽しいですね」

 横42メートル、縦20メートルの決して広くないリンクですが、ほどよい間隔で滑ることができ、上級者から初心者まで楽しむことができます。小学校時代の友人という女性2人組は…。

女性客:
「小学校ぶりなので…。懐かしいね、(ここは)ずっと変わらんもんね」

別の女性客:
「楽しいです。走るのとはまた違うから、スーッと行けて」

■「氷が見えないくらいの人だった」…繊維工場で働く女性たちの娯楽の場だったスケート場

 午後1時。リンクには悠々と滑る男性の姿がありました。スケート歴70年という81歳の男性は、このスケート場に勤務しながら、長年アイスホッケーの選手として活躍。

練習を重ねたこのリンクには、たくさんの思い出が詰まっています。一番活気があったという1965年頃の話を伺いました。

小笠原さん:
「(開場前に)お客さんが並ぶくらい盛況だった。多い時で氷が見えないくらい、300人か400人」

 1965年にオープンした一宮市スケート場は、一宮の繊維産業が盛んだった頃、工場で働く若い女性たちの娯楽の場として誕生。スピードスケートやフィギュアスケートのクラブも誕生し、小さなリンクから世界で活躍する選手も多く輩出しました。

 午後4時半。夕方になるとスケートのレッスンが始まります。小学生から大人までの8人が所属する「VIAフィギュアスケートクラブ」は、週に3回練習をしています。自らもこの場所で滑ってきたというコーチの女性は…。

コーチの女性:
「私46年ここで滑っているので『寂しいな』の一言。私の育ったところで、この子たちも育ってほしかった」

■施設の老朽化で56年の歴史に幕…滑り納めにやってくる人たち

 地域で長年親しまれてきたスケート場ですが、閉鎖の一番の理由は「施設の老朽化」です。

一宮市スケート場の担当者:
「冷やしている機械が50年以上経っているもので、部品がなかったり直す人がいない」

配管を取り換えるなどの改修を繰り返してきましたが、製氷設備も老朽化が進み、改修には3億円以上かかることがわかりました。その他にも氷を冷やすためのガスの入手も困難になったり、利用者の数も年々減少傾向だったこともあり、3月末での閉鎖が決まりました。

男性客:
「3月で終わるというので…。暮れにも来たんだけど、年初めに来てみようかと」

別の男性客:
「愛知県はスケート大国じゃないですか。子供の憩いの場がなくなると思うと寂しい」

 閉鎖まで3か月を切ったこの日も、親子を対象にスケート教室が開かれていました。

女性客:
「閉まっちゃうって聞いて、私が通ったところなので、自分の子供と来てみたくて」

別の女性客:
「二十何年ぶりです。近くでスケートできるところがないので残念」

一宮市スケート場の担当者:
「せっかくの本物の氷ですので、最高の状態で最後まで楽しんでいただけるように頑張りたい」

 56年の歴史に幕を下ろす一宮市スケート場。最後のシーズンを取材すると、滑り納めにやってくるたくさんの人たちの姿がありました。