
ロシアの侵攻でウクライナから避難してきた人が、名古屋にも到着しました。日本までの道のりも壮絶なものだったといいます。
ウクライナ西部の地方都市・テルノーピリから日本に避難してきたマリーア・サルクさん(71)。16日に来日し、名古屋市に住む娘のスイトラーナさんの自宅で生活を始めました。
マリーアさん:
「(日本に来られて)すごく嬉しかった。もう娘に会えるとは思わなかったから幸せです」

スイトラーナさん:
「私が成田空港まで迎えに行きました。もう抱っこしてチューして、本当に良かったなと思って。安心で少し落ち着いた」
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安堵した様子のマリーアさんですが、来日までの生活は壮絶なものでした。
マリーアさん:
「ウクライナでは毎日のように避難放送で『パスポートや大事な物を持って安全なところに逃げて』と。1日に何回も放送が流れていた。みんな隠れて放送が止まるのを待っていた。ずっと一人でじっとしていて怖かった」
危険な環境からいち早く抜け出すため、マリーアさんは日本への避難を決意。しかし、ポ国外への避難も一苦労だったといいます。
スイトラーナさん:
「元々ポーランドまで2時間だけど1日かかりました。すごく人が多くて、難民多くてずっと並んでいた。飛行機は何回もキャンセルされて、テルノーピリから3月3日に出たけど、日本についたのは16日。(母は)日本に帰ってから2日間寝ていた」
マリーアさんはテルノーピリからバスでポーランドへ。その後、フランス・パリの空港から日本へ来る予定でしたが、相次ぐ飛行機のキャンセルでおよそ2週間かかってようやく来日しました。

パリの空港では5日間の生活を余儀なくされ、71歳と高齢のマリーアさんにとっては、苦しい生活でした。

マリーアさんがウクライナから持ってきたスーツケース。
スイトラーナさん:
「きれいだったけど汚くなった。中には服だけ。急いで作ったから」
多くの傷が、壮絶な避難だったことを物語ります。

日本で安全な生活が確保できましたが、マリーアさんの思いは今もウクライナにあります。
マリーアさん:
「日本に来てもちろん安心しました。毎日、避難放送が聞こえないのは安心しましたけど、ウクライナのことを今も心配しています。家がどうなるかとか。早く戦争が終わって、死ぬ人が出ないように元に戻りたい。ウクライナでもう一度頑張りたい気持ちです」
スイトラーナさん:
「私もそうです。早く終わってほしい。毎日祈っています。平和になってほしい」