岐阜県岐阜市では、お好み焼きが「三つ折り」の、独自のスタイルが定着しています。その理由を調べました。

■岐阜独特のスタイル…薄い生地を“三つ折り”にするお好み焼きの作り方

 まず訪れたのは、岐阜県岐阜市福光東の長良川近くの住宅街にあるお好み焼き店「ROSA(ロサ)亭」です。

【動画で見る】薄い生地を折り畳む独特のスタイル…岐阜市民が愛する『三つ折りお好み焼き』誕生の背景に“オシャレ女子”か

お好み焼きを注文します。

店主の西部初江さん:
「うちのお好み焼きは”岐阜風”ですけどいいですか?」

店主が“岐阜風”というお好み焼きの作り方を見せてもらいました。まず鉄板に通常のお好み焼きよりかなり薄く生地を広げます。

まるで「ネギ焼き」のようです。

その上に、たっぷりのキャベツとネギをのせ、定番の天かすと紅生姜を加えます。

両面を焼いて、お好みソースをたっぷりとかけました。

お好み焼きをササッと手際よく三つ折りに畳み、仕上げにもう一度お好みソースと青海苔をかけてでき上がりです。

「ROSA亭」は持ち帰りがメインで、2枚で500円です。

生地が薄いので食べやすく、キャベツの甘みをダイレクトに感じます。

店主の西部初江さんは、岐阜市はこの薄い生地で作る三つ折りのお好み焼きが多いといいますが、一般的な円盤型や名古屋の二つ折りとも異なるスタイルなのか聞きました。

西部さん:
「昔からあるでやないかな…。分かりませんね、そういうのは」

昔からあることは間違いないが、なぜこの形になったのかはわからないといいます。

■柳ケ瀬で現存する最古の店で聞く…岐阜のグルメエキスパートと調査へ

 なぜ三つ折りが定着したのか、今度は岐阜市で120年続く油の卸問屋「山本佐太郎商店」の4代目、山本慎一郎さんに話を聞きました。

岐阜の食文化に詳しいグルメのエキスパートですが、山本さんにとっても“三つ折りのお好み焼き”は当たり前のスタイルで、なぜかと考えたことがなかったといいます。

山本さんが案内してくれたのが、柳ケ瀬商店街にあるお好み焼き店「八千代」です。

70年以上続くお店で、柳ヶ瀬商店街で現存するお店の中では一番古いのではないかといいます。「八千代」では、9割以上のお客さんがお好み焼きを注文するそうです。

「お好み焼き 並み」は2枚で600円です。

生地は薄くなっていますが、もっちりとしていて、魚粉とサバの削り節、ショウガがアクセントです。

店主の青井達明さん:
「キャベツは7ミリくらいでスライスして、かなり歯応えはあると思います。青海苔は歯に付くんですよ。そうすると女性の方は(嫌がる)」

「八千代」では、女性客が多いため、歯につきやすい青のりは使わないようにしています。

店によって使う材料や焼き方など、微妙に特徴が変わるのも面白いポイントです。

そしてなぜ三つ折りなのか、青井さんに聞きました。

青井さん:
「私も全然知らんのやけど、うちの(先代の)両親がやっていた頃に、もうこの形」

歴史のある「八千代」でも、なぜ三つ折りになったのかはわかりませんでしたが、山本さんは以前、友人と三つ折りについて話した際に「岐阜を代表する、ある銘菓に似ているのではないか」と話題になったといいます。

■「岐阜を代表する銘菓」を真似た説 鮎菓子発祥店の社長を直撃

 山本さんがスマートフォンで見せてくれたのは、岐阜を代表する銘菓の鮎菓子の画像でした。

山本さん:
「岐阜の人のDNAの中に鮎菓子があるんじゃないかと。これが自然と刷り込まれていて『牛皮を薄い生地で包む、同じじゃないの?』って」

青井さん:
「見た感じは似ていますね、大きさも」

比べると確かに同じような形で、三つ折りのお好み焼きに目を付ければ、鮎菓子にそっくりな気もします。

そこで、鮎菓子の発祥とされる岐阜市の和菓子店「玉井屋」に電話し、関係があるのか尋ねました。

玉井屋本舗の玉井社長:
「初めてですね、そういう事を聞かれるのは。申し訳ないですけど、私ども三つ折りじゃないので」

そもそも鮎菓子は三つ折りではなく、二つ折りなので関係ないときっぱり違うという回答。

鮎菓子が起源ではなさそうです。

■三つ折りは “女性が作った街・柳ケ瀬”ならではの理由か

 次のヒントを探して、同じく柳ケ瀬商店街にある「マサムラ」を訪ねました。

山本さん:
「まさに今ちょうど焼いてくださっている。生地の色が特徴的じゃないですか」

店主の正村周一さん:
「黒ゴマのペーストが練りこんであるんです。ちょっと黒いんです」

柳ヶ瀬商店街で昭和から続く「マサムラ」。看板メニューはもちろん、薄い生地で三つ折りにされたお好み焼きです。

黒ゴマを練り込んだ生地が特徴で、2枚で550円です。

ネギのシャキシャキした感じと、黒ゴマの香ばしさを楽しめます。

三つ折りのお好み焼きをいつ頃から出しているのか聞きました。

正村さん:
「ここではまだ20年くらいです。それまでは、うちは厚焼き(お好み焼き)一本で…」

正村さんの妻・喜美代さん:
「『(三つ折りを)食べたい、やってもらえないかな』っていう要望、結構聞いていたんです、お客さんから。でも厚焼き(のお好み焼き)の方が手一杯で。粉も変えないといけない、やり方も変えないといけない。でもあまりにも要望が多くて(三つ折りを)始めました」

正村さん:
「三つ折りっていうのは(岐阜市民の)DNAに入っとるもんで」

お客さんのたくさんの要望で三つ折りをメニュー化していました。いかに岐阜市民の“三つ折り愛”が深いかがわかります。

すると、柳ケ瀬で生まれ育ったという正村さんから、ヒントになりそうな話を聞くことができました。

正村さん:
「昔は、柳ケ瀬の中にこういう鉄板焼き屋さんが辻々にあって、柳ヶ瀬の一角に入ってくるとソースの香ばしい匂いがするっていうような。甘味処もありましたし、女の子が来て色々つまんで、その女の子について男が集まってくる。そういう意味で柳ヶ瀬に行くっていうと、履き物を履いて上着一枚変えて出てくる街だったんですよ、昔は」

喜美代さん:
「女性も多かったし、私も高校の頃にはよく女子生徒いっぱいで歩いていましたからね」

当時から三つ折りのお好み焼きを食べていたと言います。

喜美代さん:
「食べていました。いっぱいありましたから、お店。手に持って食べるのに、三つ折りは持ちやすい」

山本さん:
「柳ヶ瀬という場所で、女性の方が(三つ折りを)食べながら街を散策する、というようなことが見えてきましたね」

柳ケ瀬は“女性が作った街”ともいわれています。

三つ折りお好み焼きが生まれたとされる昭和20年(1945年)から30年頃(1955年頃)は、最先端のファッションに身を包んだオシャレな女性たちが、颯爽と街を闊歩していたといいます。

女性たちが食べ歩きしやすいようにと、手軽で大きな口を開けずオシャレに食べられる三つ折りのお好み焼きが生まれ、それに合わせて折りやすいよう生地も薄くなったのではないかという見立てです。

女性が口元を汚さずスマートに食べられるようにと三つ折りにしたとすれば、女性が生み出した岐阜独自の文化といえるかもしれません。

山本さん:
「柳ヶ瀬商店街が育くんだといっても過言ではないと思います。それがまた今の若者たちに新鮮に映り、柳ヶ瀬の賑わいに繋がって行けばいいなと思います」

2023年3月14日放送