西田優大も怪我から復帰 三河らしいゲームを展開

ウィングアリーナ刈谷で行われた信州ブレイブウォリアーズとのナイトゲーム。シーホース三河は信州に85-74で勝利した。

この日、左ハムストリング損傷で欠場が続いていた西田優大が復帰。右尺骨茎状突起骨折でインジュアリーリストに登録されていた長野誠史も復帰するなど、三河にとって明るい話題が多いゲームとなった。

試合は序盤から三河のペースで進む。西田はブランクを感じさせない動きで、長野も見事なヘジテーションから得点を上げて存在感を見せた。前半だけで9つのターンオーバーを誘発させるなど、強度の高い守備で信州のオフェンスを封じ、46-33と13点リードで折り返す。3Qに入っても勢いは止まらず、最大25点差をつける展開に。しかし、終盤に信州の猛攻に遭い、一時は5点差まで詰め寄られ、課題も残るゲームとなった。

今日のゲームについてライアン・リッチマンHCはこう振り返る。
「3Qまでの30分間は非常に良いものが出せたと思います。同時に学ぶべきことも多くあった試合でした。これからクロスゲームが増えていくと思いますし、我々にかかってくるプレッシャーはどんどん大きくなっていきます。そういった中で、この経験は次につながると考えています」

ハイライトは残り3分、79-74と5点差になってから。途中からスコアが伸びず悪い流れが続く中、リッチマンHCはこれまでゲームクロージングを担当していた久保田義章を下げて、復帰したばかりの長野をコートに送った。

ここで長野に「テイ(ダバンテ・ガードナー)とピック&ロール」の指示を出したそう。長野は時間を使いつつ、ガードナーとのコンビネーションから連続で得点を演出。残り3分となってから、この2人だけで6点を上げて逃げ切りに成功した。

長野は19分31秒のプレータイムで6得点、チーム最多の7アシストを記録。復帰戦で「ON FIRE賞」にも選出された。

試合後、リッチマンHCは長野について「彼はチームにとってエンジンであり、ハートのような存在。彼のハードさが伝わって、他の選手もよりハードにプレーしてくれます。今日はオフェンスをうまく組み立ててくれましたし、相手のプレッシャーもかわしてくれました。また、久保田選手への刺激にもなっていて、彼を一段階上げるためにも長野選手は必要な存在。帰ってきてくれて本当に嬉しく思っています」と最大限に評価した。



地元を襲った震災、そして祖母の他界「1月は特別な時間だった」長野誠史

今年1月1日、「令和6年能登半島地震」が発生。石川県七尾市出身の長野にとって人ごとではなかった。
「家族も友人も被災しました。地震があった直後、親に電話したんですけど、大きな揺れが続いて、津波のニュースも出ていて…動揺しましたね。でも、自分が帰ったところで力になれるとは思えませんでしたし、親も『来るな』と。自分ができるのはバスケだけ。バスケで地元のみんなを勇気づけることしかできない」

震災から5日後、迎えた1月6日の茨城ロボッツ戦。「試合前、できるなら自分が募金箱を持って立っていたかった」と話す長野。まだ日本中に不安や動揺が残る中、おそらくチームの誰よりも強い気持ちを持って臨んだ長野にとって、特別なゲームとなるはずだった。ところが、思わぬアクシデントが待っていた。

2Q半ば、ボールを追った際に相手選手と接触。「バキッと音が聞こえました。聞こえましたけど、アドレナリンが出ていて痛みはあまりなかったので、このままやるつもりでした。でも、だんだんと痛みが出て..…張り切りすぎたんですかね。うまくいかないっすね」

右手首を負傷してそのまま途中退場となり、後日の診断結果は「右尺骨茎状突起骨折」。Bリーグでデビュー後、初めてインジュアリーリスト入りとなる。試練はこれだけではなかった。

「地震と関係ないんですけど、1月下旬にばあちゃんが亡くなって…僕、おばあちゃん子だったんです。怪我のおかげというか、休んでいたからお葬式に参加できたんですけど、本当に1月は自分にとって複雑というか…そうですね、いろいろなことがありました」

長野は言葉を選びながら「特別だった1月」を振り返った。報道こそ減ったものの、震災の爪あとは残ったまま。家族との別れもあった。そして自身の怪我。短期間でさまざまな出来事に見舞われ、気持ちを切り替えることはできたのか。その問いには「そうっすね。やるべきことは決まっているんで…もう切り替えるしかないです。いい機会だったかもしれない」と話す。

ただ、悲しいことばかりでもない。スキル面の見直しはもちろん、冷静に俯瞰してチームを見つめることができ、どのようなシチュエーションでどのプレーを選択すべきか整理できた。結果として「自分が成長するいい時間だった」と前向きに捉えている。ゲームでクロージングを託されたことについても「ヨシ(久保田)は迷いながらやっていたと思う」と言い、代わって求められた役割を見事に遂行した。

長野を何度も取材してきたが、この日は言葉の節々から変化を感じずにはいられなかった。柏木真介を除くと、気づけばガードナーと並んで三河でのキャリアは最長。中心選手としての自覚や責任感に加えて、「特別だった1月」が彼をさらにたくましくさせたのではないか。エースは西田優大、スコアラーはガードナーかもしれないが、リッチマンHCが言うように、チームの「ハート」は長野誠史、なのだろう。

試合終盤、悪い流れを断ち切るようにプレーで応えた長野。「三河に来て、厳しい時間帯は自分が一番勉強してきたことなんで」若手ポイントガードの1人として、頭を悩ませながらやっていた姿は、もうない。