名古屋市出身で、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんが7月23日に亡くなりました。

 物理学の権威でありながら、そのユーモアに富んだ発言で私たちを和ませてくれましたが、その「益川節」には若手研究者へのメッセージも込められていました。

益川さん:
「うれしい!なんてやらないよ」

 2008年、素粒子理論の研究でノーベル物理学賞を受賞した益川さん。名古屋市出身で名古屋大学を卒業の益川さんの受賞に地元は歓喜にわきました。

 一躍、時の人となった益川さん。注目を集めたのは、その発言でした。

益川さん:
「逆立ちはできないけど、なんでもします。できることなら。皆さんの立場から見たら、ノーベル賞頂いたと、ワーッと喜べば絵になるんでしょうが、今さらという気持ちです」

 受賞が決まった翌日の会見でいきなり飛び出した「益川節」。ことあるごとにそのユーモアに富んだ発言で私たちを和ませてくれました。

益川さん:
「水戸黄門みたいに『これ(ノーベル賞)が目に入らんか』と、そこまでは言わないけどね。色んな意味で行動はしやすくなるし、話も聞いてもらえるしね。自分が選ばないものに参加しなきゃいけないことが増えましたね。もらっちゃった以上は『いや僕いりません』と言わなかった以上、付随的なことは色々ある。これ(マスコミ取材)もしょうがない」

 さらに、母校の名古屋大学が益川教授のイラスト入りまんじゅうを発売した際には…

益川さん:
「堂々とやる名古屋大学の文化を僕はすごいと思う」

 さらに…

益川さん:
「甘いものはあんまり好きじゃない」

 そして、名古屋大学に素粒子理論を研究する高性能コンピューターが導入された時にも…

益川さん:
「これは『遊び』の世界。それで物理をやろうなんてさもしい考えなんて持ったことない」

 とても高価なコンピューターをただの「遊び」と一蹴。いつでも自由な発想を持っていた益川さん。その根源は子ども時代にありました。

益川さん:
「勉強嫌いというよりやる気がしない。やらない。だって遊んでる方が面白いじゃん」

「遊び」の延長で物理学にも興味を持ち、世界的権威となった益川さん。高性能コンピューターを『遊び』と言い放ったのも、実は若手研究者へのメッセージでした。

益川さん:
「我々の仕事は40年前の話なんで、当然学問は進む。その突破口を開きたいと。若い人に自由に使ってもらう。私は見てる。楽しいことがあったら、遊ばせてもらうと」

 7月23日に81歳で亡くなった益川さん。研究者だけでなく、多くの人たちに、自由な発想の大切さを伝え続けてくれました。