教え子5人の前で始球式

 5月24日、バンテリンドームで行われたセ・パ交流戦初戦。始球式に中日・立浪監督の恩師で元PL学園硬式野球部監督の中村順司さん(75)が登場しました。

 中日には立浪監督と福留孝介選手に片岡篤史2軍監督、対戦相手の西武には松井稼頭央ヘッドコーチと平石洋介打撃コーチという、中村さんのPL学園時代の教え子が実に5人。

 これを受け、中日球団の粋な計らいにより、中村さんの始球式が実現したのでした。

投球はワンバウンドでキャッチャーのミットへ

 教え子たちの見守る中、中村さんの投球はワンバウンドでキャッチャーの構えたところに収まり、大きな拍手が沸き起こりました。しかし、グラウンドにはもう1人”監督”の勇姿を見守っていた仲間がいました。中村さんはボールをキャッチャーから受け取ると、遺影を持って1塁ベンチ横で見守っていたある女性に手渡したのです。

立浪監督の高校時代の同級生・故伊藤敬司さんの妻子を始球式に招いた中村さん

 実は中村さん、球団から始球式の依頼を受けた時点で、7年前に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)で天国へ旅立った立浪監督の高校時代の同級生、故伊藤敬司さんの妻・桂子さん(52)と、ひとり娘の心菜さん(18)を招くことを決めていました。

 伊藤さんは立浪監督と中学高校を通じてチームメートとしてプレー。高校時代はPL学園の正捕手として1987年の甲子園春夏連覇に貢献し、高校ジャパンのメンバーとして立浪監督と一緒にアメリカ遠征にも行きました。

 大学卒業後は名古屋の社会人野球の強豪JR東海で野球を続け、選手・コーチとして14年間活躍しました。

PL学園時代の絆は35年経った今も…

 しかし社会人野球を引退し、JRグループで働いていた2008年、突然難病に襲われました。

 病気は徐々に進行し、次第に歩くことも話すこともできなくなっていきました。

 そうした中、時間を見つけては激励に訪れたのが中村さんや立浪監督であり、PL学園時代の仲間だったのです。

 伊藤さんは2015年に亡くなりましたが、その直前まで「たっちゃんはいつ監督になる?」と桂子さんに問いかけるなど、常に立浪監督を気にかけていたと言います。

 そんな伊藤さんの気持ちを知っていた中村さんは、立浪監督となって自身が招かれた始球式の場に、伊藤さんの妻子を招いたのです。多くのファンが待ち望んでいたように伊藤さんも天国で立浪監督の就任を強く待ち望んでいたのでした。

 始球式を終え、グラウンドで見守っていた桂子さんと心菜さんに記念ボールを手渡した中村さん。

中村さん:
「多くの教え子たちに見守られ緊張しました、もうちょっと投げられるかなと思って、準備をしたんだけど、18.44mがすごく遠く感じました。でもこうして伊藤君の奥さんと娘さんがここへ来られてよかったなと思うし、僕がワンバウンドで投げたからボールが汚れていたんだけど、逆に記念になるのでは…」

 桂子さんも「主人も念願だった立浪監督の姿を見られて、中村監督にもお会いできて喜んでいると思います」と目を赤らめながら語り、大学1年生となった娘・心菜さんは「私は父のことを深くは知らないので、こうして呼んでいただけて(立浪監督らに)色々お話も聞かせていただけて、すごく嬉しかったですし、すごくありがたいと思います」と話しました。

 高校時代に培われた絆は、35年経った今でも多くの人の胸に刻みこまれていました。そして立浪監督誕生を機に、多くの人がこの絆は永遠につながり続けると確信したのでした。