1968年、岐阜県白川町で104人が犠牲になった「飛騨川バス事故」で、54年目の法要が、慰霊碑の移設先で営まれました。

(事故当時のリポート)
「飛騨川の川底の大きな岩に、ご覧のように車体が屋根の部分から固く食い込んでおりまして、まことに無残な姿をさらけ出しております」

 54年前、1968年の8月18日、岐阜県白川町で愛知県から乗鞍の観光に向かうバス2台が土砂崩れに巻き込まれて飛騨川に転落し、104人が犠牲になりました。

 事故現場近くに建てられていた慰霊碑と「天心白菊の塔」は、より安全な道路を通すため近くの産直施設の敷地内に7月に移設され、今年は新たな場所で慰霊法要が営まれました。

遺族:
「(移設されて)現場がどこなのかということは、我々でないと分からない」

別の遺族:
「立派に残してくださったから、とっても驚いていますしありがたいです」

 移設された天心白菊の塔は以前よりも小さい3メートルの高さになりましたが、慰霊碑は裏に刻まれた犠牲者の名前が見えるようになっています。