愛知県新城市の60歳女性の方から投稿がありました。投稿は「新聞の記事で、菅首相が福島県の『なみえまち』を『なみえちょう』と言い間違えたとありました。愛知県は『ちょう』が普通なので、『まち』という読み方に驚いています。独自の決まりがあるのでしょうか?違いを知りたいです」

 愛知県「設楽町」や岐阜県「北方町」、三重県「菰野町」といった“自治体の『町』”を「ちょう」と読むか「まち」と読むか…。全都道府県の自治体を調べてみると、北海道や九州など例外はあるもの、大まかに東日本は「まち」、西日本は「ちょう」と読むところが多いことが分かりました。

■「まち」か「ちょう」か…日本列島色分けすると東西に分かれる結果に

 愛知県には、確かに幸田町(こうたちょう)や設楽町(したらちょう)など、町を「ちょう」と読む自治体が多くあります。「ちょう」と読むか「まち」と読むかは、地域によって傾向があるのか調べました。

【画像20枚で見る】 「まち」と「ちょう」の境界線は長野か 県内唯一「ちょう」と読む町で真相に迫る

 まずは市町村の情報がまとまっている「全国市町村要覧」をもとに、47都道府県すべての自治体を読み方で色分けすることにしました。

 全て「まち」と読む都道府県を青で、全て「ちょう」と読む都道府県は赤で塗っていきます。どちらも存在する場合は、「まち」が多ければ青の斜線を、「ちょう」が多ければ赤の斜線を、地道に日本地図を塗っていくと…。

 まずは東北から見てみると、「まち」ばかり…。投稿にあった福島県の浪江町(まち)をはじめ、東北は「まち」が優勢のようです。関東もほぼ「まち」の青で塗りつぶされました。

 東海3県になると一変して全て「ちょう」。中国地方では、広島県は全て「ちょう」という結果に。

 作業すること5時間。完成した「『ちょう』か『まち』か分布図」を見てみると…。

北海道は、「ちょう」が多いものの、東日本に「まち」が多く、東海3県を含む西日本に「ちょう」が多い、西日本と東日本に分かれる結果となりました。

■「まち」か「ちょう」かの境界線は長野か…県内唯一「ちょう」と読む町へ

 ここで注目したのが、真っ青な「まち」の関東と、真っ赤な「ちょう」の東海地方に挟まれた長野県。長野県は、「まち」が22で、「ちょう」が1という内訳。長野県で唯一「ちょう」と読む町は、県南部の「阿南町(あなんちょう)」です。

 ほとんどが「まち」の長野に、なぜ1つだけ「ちょう」と読む自治体があるのか。その理由を探るために、長野県阿南町へ向かいました。

 名古屋から車で走ること2時間、すぐ南は愛知県豊根村という、人口4372人(7月1日時点)の阿南町。町内には、県内最大級といわれる全長15メートルの「阿南関昌観音」がそびえたち、JAをのぞいてみると名物のスモモなどが並んでいました。

「ちょう」と「まち」の境界線上にあるともいえる阿南町(あなんちょう)。なぜ、長野でここだけが「ちょう」なのか、地元の人に聞いてみると…。

女性:
「『まち』の方がしっくりくると思ってたけど、なんで『ちょう』なのかってずっと感じていました」

男性(70代):
「ちょっと変わっているなと、呼び方が。それは疑問に感じましたけど」

 長野県の中で、ここだけ「ちょう」と呼ぶことに違和感を持ってはいるものの、理由については分からないようです。しかし、気になる話が…。

男性(50代):
「『あなんまち』と小さい頃は言ったり。『あなん“ちょう“』って言うのか、『あなん”まち“』って言うのか、小さいころはその認識もなかったんですよ」

 昔は「まち」と言っていたという情報が得られたため、手がかりを求めて阿南町役場へ。

■阿南町は当初から「あなんちょう」も…「まち」と「ちょう」混在して読む人も

 町役場で昭和32年に3つの村が合併した際の資料があるとのことで見せていただくと、そこには町ができた当初から、すでに「ちょう」であったことが示されていました。

しかし、町の人で、昔は読み方が「まち」と「ちょう」が混在していた人がいたことを伝えると…。

阿南町役場の担当者:
「そんな印象ありましたね。阿南町郵便局があるんですけど、阿南“まち”郵便局と呼んでいたのを、途中で阿南“ちょう”郵便局っていう風に変えたという…」

「まち」を「ちょう」と読むようになった理由は、何だったのでしょうか。

■町長「愛知県の色が強かった」…愛知の文化が県境を越え「ちょう」と読むように?

 代々この地で育ってきたという勝野一成町長に話を伺いました。

阿南町の勝野一成町長:
「やっぱり愛知県の色が強かった…。植林を促進したのが愛知県の人間で、ずっとこっちまで降りてきた…」

 戦前の昭和初期に愛知県から来た林業の指導者が、この地でヒノキの植林を指導したという歴史があり…。さらに、愛知県の東栄町(ちょう)や設楽町(ちょう)など県をまたいで愛知の人との結婚も多かったといいます。

勝野町長:
「(愛知の文化が)阿智川を境にして入ってきたんですよ」

 県境を越えて愛知の文化が入ってきたため、「ちょう」と呼ぶようになったのではないかという見解でした。

 東日本は「まち」、西日本は「ちょう」の傾向が強い中、長野県阿南町の北側を流れる阿智川に「ちょう」と「まち」の境界線があるのではないかということがわかりました。