東日本大震災から11年が経ちました。福島県内で唯一、全町民の避難が続く双葉町に2020年に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」で、当初から語り部をしている女性は、悩みながらも避難先から被災地へ戻り、暮らしています。

 津波に襲われた家に、撤去できないガレキ…。震災から11年経った福島第一原発近くの双葉町です。

福島県内で唯一、全町民の避難が続く町で、2022年6月にもようやく住民の帰還が始まります。

【画像11枚で見る】悩みながらも避難先から故郷の被災地へ…語り部続ける女性「私達の話を伝えてほしい」

 双葉町に2020年に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」には、地震や津波の凄まじさを物語るモノや、原発とともに発展してきた地域の姿が、事故の教訓として展示されています。高村美春さん(53)は、開館当初からここで語り部をしています。

高村美春さん(講演で):
「海の方からバーンという音が聞こえてきました。3号機の爆発音だった。避難所に、津波で家をなくした方々、ご遺体がたくさん並んでいました。並べきれなくて、学校のグラウンドにもたくさんのご遺体が並んでいました」

 震災当時、福島第一原発から北に25キロの南相馬市で息子3人と暮らしていましたが、原発事故による避難で各地を転々としました。

 被ばくの不安から2012年に、ウクライナの「チェルノブイリ原発」を訪れ、事故を経験した母親たちに「福島で子供を育てていけるのか」、悩みをぶつけたこともありました。

高村さん(講演で):
「お母さんたちが『私たちは今こうやって生きている、不健康に見えますか?』。私は『ここ(福島)にいてもいいんだ』という言葉が聞きたくて、ここまで来たんだなと。そこで、もう避難をやめて南相馬に戻ってきました。ここで子育てをしようと決めました。でも本当にそれがよかったのか、今でも悩んでいます」

 震災から11年。高村さんは、「被災地に何ができますか?」と聞かれたときに、私たちの話を聞いて伝えてほしいと話しているといいます。