小早川が裏切らなければ…歴史の“もし”に思い馳せる「天下分け目の関ケ原」今も当時の空気を感じる場所
岐阜県関ケ原町を訪れると、今も戦国時代末期の空気に触れることができる。徳川家康が天下を獲る大きな足掛かりになった、「天下分け目の関ケ原」といわれる関ケ原の合戦の舞台だ。
JR関ケ原駅を降りると、道沿いにはのぼりやパネルが並んでいる。
駅の少し北にある「岐阜関ケ原古戦場記念館」は、合戦の歴史を学ぶことができる体験型の施設だ。
【画像で見る】小早川が裏切らなければ…歴史の“もし”に思い馳せる「天下分け目の関ヶ原」
学芸員:
「奥がシアターになっておりまして、(映像や音に合わせて)イスも揺れるようになっております。風も吹くようになっています」
迫力ある映像と光と音の演出で、関ケ原の戦いが臨場感たっぷりに再現されている。
5階の展望室は360度ガラス張りになっていて、町が一望できる。
ところどころに見えるのぼりは、関ケ原の戦いで名立たる武将たちが陣を敷いた陣跡だ。東には東軍の大将、徳川家康が陣を敷いた桃配山。
西軍の大将、石田三成の陣跡、笹尾山はさらに間近だ。
学芸員:
「来られた方みなさん、割と狭いところで戦っていたんだなっていう風におっしゃいますね。こんなに距離が近いというね」
記念館を出て少し歩くと、最大級の激戦が繰り広げられた決戦地。
笹尾山は5分ほどで登ることができる。
現地の史跡ガイド:
「慶長5年(1600年)旧暦9月15日に、石田三成さんが当時見た景色ですね」
右手には、西軍の小西行長や宇喜多秀家が陣を敷いた山々が見える。
その奥は、家康の東軍に寝返った小早川秀秋が陣を構えた松尾山だ。
現地の史跡ガイド:
「293メートルですね、あそこが松尾山ですね」
高い山に陣取った西軍に対し、家康率いる東軍は盆地の中で、地理的には不利な状況だった。
現地の史跡ガイド:
「三成さんはこの景色を見て、『今日は俺が勝った』と『豊臣家はこれで安泰だ』とさぞかし思ったと思います。私も思います、この陣形を見る限り。しかし負けちゃったと」
小早川が裏切らなければ、戦いの結末はどうなっていたのか。関ケ原は歴史の「もし」に思いを馳せて楽しむことができる町だ。
2022年10月27日放送