中日ドラゴンズOBの山本昌さんが、東海ラジオの『山本昌 野球人生道』で、自分のプロ野球人生を変えた出会いについて語った。

 1983年、ドラフト5位で指名されドラゴンズに入団。高校時代はスカウトが見に来たこともなく、プロ入りを全く考えていなかったと話す山本さん。大学に入り将来は社会科の先生になると決めていたこともあり、ドラフトで指名されたときには驚いたと振り返る。

 宮崎でのキャンプ初日、ブルペンでは鈴木孝政さん、牛島和彦さん、小松辰雄さん、郭源治さんというドラゴンズの主力投手が投げているのを見て、「来てはいけないところにきた」と心底思ったという。

 なかなか成長を示すことができなかった山本さんは5年目に、アメリカでのプレーを命ぜられる。1988年のシーズン前のこと。その頃は「高卒の選手は5年目が危ない。クビになる可能性があるリミットの年」と言われていたといい、キャンプからアピールしたがオープン戦初戦で先発するも、初回にKOされた。

「5年目の自分がアメリカに行って何になるんだ。勝負の年なのに、これから勉強してどうなる。どうやって頑張れというのか」と、悔しさがこみあげた。そんな気持ちでアメリカに行ったため最初はちょっとふてくされ気味だったそうだが、アイク生原(生原昭宏)さんとの出会いが、山本さんを変えていった。

 アイクさんはアメリカに行った翌日から山本さんに付き、立ち直れないなかでもお構いなしにいろいろと教えてくれたという。1週間経って山本さんは「こんなに一生懸命やってくれる人の前で、なんで自分はふてくされているのだろうと恥ずかしくなった」と話した。

 そのアイクさんの熱意が山本さんの情熱に再び火をつけた。「今年クビかもしれないが何か覚えられるかもしれない、頑張ろう」と再出発した山本さんの活躍は周知のとおり。32年間の現役生活で通算219勝、数々の最年長記録を更新し輝かしいプロ野球人生となった。最初のスタートは決して華々しいものではなかったが、新しい出会いが人生を変えてくれた。