「あの子たちが苦しんでるかと思うと…」愛知万博で生まれたウクライナとの絆 遠く離れた日本で平和を願う町
ウクライナへのロシア侵攻で避難民は170万人を超えましたが、とりわけ現地の様子を心配しているのが、愛知県西尾市の旧幡豆町の人たちです。17年前の「愛・地球博」のフレンドシップ事業でウクライナとの絆が生まれ、現地の人々を心配しています。
依然、ロシアの砲撃がやまないウクライナ。遠く離れた日本で強く平和を願う町があります。
西尾市南東部の旧幡豆町。
旧幡豆町企画課元職員の中根さん:
「これが当時の公式ポスターです。いまだに家にあります」
当時、幡豆町企画課の職員だった中根孝典さん(64)。
中根さん:
「ウクライナの方とも交流ありました。『フレンドシップ事業』で当時の幡豆町の方と、踊りやバレエとか食文化を通して交流していただきました」
ウクライナとの交流のきっかけは2005年の『愛・地球博』。
「一市町村一国フレンドシップ事業」で、それぞれの市町村が参加する国とペアになって海外からのゲストをもてなし交流しました。
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幡豆町はウクライナとパートナーになりました。
当時の大統領は「オレンジ革命」でロシア寄りの候補を引きずりおろしたばかりのユシチェンコ氏でした。
旧幡豆町の嶋崎佐津枝さん(84)。ウクライナがパートナー国になったときの気持ちは…。
嶋崎さん:
「全く知らなかったので、恥ずかしいですけれども…」
最初は全く知らなかったというウクライナ。万博をきっかけに、幡豆町にウクライナ・ハリコフのバレエ団を招いたり、一緒に盆踊りをしたりするなどして交流を深めました。
嶋崎さん:
「この(ウクライナの)国旗の色、これ青空ですよね。下は何かなと思っていたら小麦だそうです。『そうか、小麦か』と」
万博の2年後の2007年には嶋崎さんたちがウクライナを訪れ、子どもたちに日本の折り紙などを教えました。
嶋崎さん:
「折り紙は新聞紙を持ってきまして、こういうものを作って」
旧幡豆町の山本さん:
「日本語は通じないのでここがスタート、『次はここ!』と(身振り手振りで)教えてあげて一緒に完成させた。みんなすごく喜んで、できた子は被っていました」
現地ではウクライナのバレエや民族舞踊を鑑賞したり、日本の炭坑節などの踊りを披露したり。
山本さん:
「炭坑節も、みんなに説明するときは『掘って掘ってまた掘って』『担いで担いで』って言いながら踊るんですけど、それを現地でもついつい出ちゃうんですよね。それで(ウクライナの)子供達が覚えちゃって『掘って掘って』って一緒に声出してくれて」
言葉は違っても、歌や踊りを通して心を通わせてきた嶋崎さんたち。ロシアのウクライナ侵攻については…。
嶋崎さん:
「他の国が戦争やっていても『ふーん』で終わっちゃうんですけど、あの子たちが苦しんでいるかと思うと、なんとかできないのかな。みんな人間なのにあんな不幸になってかわいそうになと思いますけどね。本当にもう言葉ではちょっと表せない」