名古屋には、一般的な油揚げに比べてサイズが小さい独自の油揚げがあります。他の地方ではまず見かけないそうで、生まれた理由を調べると、いなり寿司を簡単にたくさん作るために誕生したのではないか、ということがわかりました。

 いなり寿司をさらに調べてみると、いなり寿司と巻き寿司がセットになった「助六」が、名古屋発祥の「名古屋めし」であるという説が出てきました。この助六について調査しました。

■「助六」を知っていますか? 名古屋の街で知っていたのは30人中22人!

 名古屋の街で助六を知っている人はどれくらいいるのか聞きました。

50代男性:「お寿司の助六じゃないですか。いなりとのり巻き」

70代男性:「助六って言ったら寿司でしょう」

20代女性:「巻き寿司と…いなり」

40代男性:「(Q.どんな時に食べていた?)昔、運動会とかそういう時だったかな」

20代男性:「聞いた事もないです。たぶん商品名は知らないけど、ちらっと見たことあるかな…ぐらい」

20代男性:「お店の名前か地名ですか?(Q.食べ物なんですけど)えー何だろう、野菜か何かですか?」

30代男性:「たくあんみたいな、漬物?(Q.いなり寿司と巻き寿司のセットが助六)そうなんですか、初めて知りました」

 30人中、知っていたのは22人でした。

 ただ、宅配寿司のチェーン店「銀のさら」に、都道府県別の「一店舗当たりの助六の平均販売数」を教えてもらうと…。

1位:宮城、2位:三重、3位:愛知、4位:京都、5位:大分、6位:滋賀、7位:長野、8位:岐阜、9位:福島、10位:北海道

観光客「何に使うかすら分からない…」名古屋独自の“小さな油揚げ”誕生のナゾ 100年以上前にルーツか

 トップテンには北海道から九州までまんべんなく並んでいますが、2位:三重、3位:愛知、8位:岐阜と、東海三県全てがランクインしています。東海地方での助六の浸透率はかなり高いといえそうです。

■助六の由来は歌舞伎の演目「助六由縁江戸桜」役者が言った洒落がはじまり

 助六の名前の由来について、「なごや飲食夜話(おんじきやわ)」の作者でもあり、東海学園大学客員教授で南山大学名誉教授の安田文吉さんに伺うと、歌舞伎が由来ではないかと説明してくれました。

「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」という歌舞伎の有名な演目があり、その主人公が助六です。ストーリーは、助六が吉原にいる意休(いきゅう)という老人から、源氏の宝刀を奪い返すというもの。

 その中に出てくる助六の恋人が、吉原でトップスターの「揚巻(あげまき)」で、このあげまきの名前から、「揚げ」が油揚げ、「巻き」が巻き寿司ということで、助六という寿司の名前になったということです。

 名古屋の歌舞伎といえば御園座ですが、公演がある日は助六弁当を販売しています。2018年から弁当を作っている松浦商店に伺うと「歌舞伎の公演日は他の公演日の2~3倍売れる。歌舞伎に関係があることをお客さんがご存じなのと、食べやすさが人気の理由ではないか」と話しています。

 そして、なぜ助六が名古屋発祥につながるのかという理由も伺いました。

安田さん:
「助六という名前が付いたのは、4代目・助高屋高助(すけだかやたかすけ)という役者さんが来て、助六を熱田の芝居小屋で演じた。(後援者が)差し入れを持っていくことになるんですが、夏の盛りなので生寿司は遠慮して持っていったのが、あぶらげ寿司と巻き寿司のセット。セットを持っていったら、4代目・助高屋高助が『こりゃ、助六だね』と言ったのが始まりだということになっています。最初に洒落で役者が言ったということになると、これは洒落ているなとなれば皆さん方が広めちゃうと。やっぱり芸どころ(名古屋)がかかってくるわけです」

 安田さんによると、明治時代に熱田の芝居小屋で助六の公演があったとき、後援者の1人が夏場に腐らないようにと、いなり寿司と海苔巻きを役者に差し入れしたところ、その役者が「揚げと巻きで、こりゃ助六だな」と洒落を言ったそうです。その洒落を気に入り、たくさんの後援者に一気に広まったのではないかとしています。

 さらに、当時の庶民の文化をまとめた江戸時代の百科事典「守貞漫稿(もりさだまんこう)」には、いなり寿司の発祥に関して、「尾張、名古屋あたりでいなり寿司が生まれ、天保(1830~1844)頃に江戸で流行ったといわれている」と記述があります。

 つまり、いなり寿司は名古屋生まれの名古屋めしであるということが書物に残っていました。ということは、助六も名古屋発祥の名古屋めしである可能性は考えられます。

 あくまで「説」ではありますが、芸どころ名古屋が生んだ名古屋めしといえるかもしれません。