貴乃花親方の“引退表明”問題、東海地方にも波紋が広がっています。
三重県で10年にわたり貴乃花親方に宿舎として部屋を提供した男性や、親方が何度も足を運んだ名古屋の名店の女将からは惜しむ声が聞かれました。
(街頭インタビュー)
女性:
「折れたくない気持ち正しい気持ちはわかるんですが、『1人対協会』みたいになってしまって…」
男性:
「若貴ブームのときは見ていた。そのときのことを考えれば残念。それこそ、最後に協会の会長になってもいいくらいの人なので」
また夫婦の間でも意見は分かれるようで…。
夫:「なんかかわいそうな感じだね」
妻:「私はかわいそうとは思わない」
夫:「角界追いやられて居場所なくなって…」
妻:「でもその事態を招いたのは自分」
夫:「だけどそれは正義を貫いたから…」

■宿舎提供の男性「ああいう生き方の人」
会見する貴乃花親方:
「私、貴乃花光司は本日、公益財団法人日本相撲協会に年寄を引退する旨の届けを提出いたしました」
貴乃花親方が25日、引退届を出して開いた記者会見。その様子を特別な思いをもって見つめる人が東海地方にも…。
去年まで10年間にわたり、名古屋場所の時の宿舎として貴乃花部屋に自宅の一角を提供してきた、桑名市の水谷清行さん(79)。

10年間宿舎を提供した水谷清行さん:
「部屋を持って15年かそこらやでね、この子は。つい『この子』って…貴乃花親方は自分の息子みたいに思ってしまう。相撲期間中は、自分の用がある以外は必ずあの汚い2階で。『親方こんなとこでいいの?』と聞くと、(親方は)『出て行けっていうんですか?』って。ホテルに泊まってる親方もいるのに、親方は弟子のところにキチっといて、門限も9時って決めてね。
貴乃花親方がここへ初めて来たときに、手形を『大将どうですか』ってくれたの。貴乃花、若乃花、貴ノ浪、貴闘力……懐かしいね。まさか10年も部屋を提供するとは思わんかった。あの貴乃花や。どれだけみんな見にきたことか。遠いとこからでも」
アルバムをめくりながら、思い出を振り返る水谷さん。今回の引退表明については…。

水谷さん:
「まっすぐな親方やから、自分が言ったことを曲げることはしないだろうと私は思う。昔っから一貫10年間変わらんもん。あのままずーっと、ずっと相撲バカ」
「貴乃花親方は相撲が好きで一本気」と語る水谷さん、引退表明については理解を示しながらも、寂しさがこぼれます。
水谷さん:
「残念やけど仕方がないね。まず第一に体に気を付けて、ああいう生き方の人だからさ、自分の人生を貫いてほしいと思うな。自分の生きたいように生きればいいと思う」

■“名店”の女将「どうして話し合いが…」
優勝回数22回、空前の相撲ブームを巻き起こした大横綱は名古屋でもファンを楽しませてくれました。
95年には初めて名古屋で賜杯を手に。22回の優勝のうち4回が名古屋場所。 引退後、親方になってからもその人気は衰えず、三重県のFMラジオに出演しPRに一役買ったことも。
名古屋にある「ひつまぶし」の名店・あつた蓬莱軒本店の女将、鈴木詔子さん(74)。
鈴木さんも、あの引退表明を複雑な思いで見届けていました。 親方は現役時代から、名古屋場所の度にこの店をよく訪れていたのです。

先代の女将が15年前に店の歴史やエピソードをしたためた本の帯には「名古屋に来ると立ち寄ってしまう」という貴乃花親方のメッセージが…。
あつた蓬莱軒本店女将・鈴木詔子さん:
「大女将が出した本で帯を書いてくれたんです」
店ではテレビとはちょっと違う表情を見せ、優しい人だったと話す鈴木さん。今回の引退表明には大きなショックを受けていました。
女将・鈴木詔子さん:
「自分の思いを一筋持ってらっしゃる方だから。(店に来る親方や相撲協会の関係者は)いい人ばかりなんです。どうして良い話し合いができないのかなって。残念ですね」
一時代を築いた大横綱の突然の引退表明は、各地に波紋を広げています。