吸収力抜群でロングセラーとなっているタオルを製造する会社が、岐阜県の安八町にあります。大学時代を福島で過ごしたこの会社の60歳の社長は、2021年に福島県の双葉町にタオル工場の建設を予定しています。
 
 大震災そして福島原発の事故から10年。復興の一翼を担いたいと、双葉町と共同でタオルマフラーを開発。このタオルを建設する工場で製造することで復興支援を続けます。

■ロングセラーの魔法のタオルを福島・双葉町で…人と生活消えた町に新工場を建設

 2007年の発売開始から出荷枚数が1000万枚を突破し、吸水力が抜群と大好評なタオルがあります。岐阜県安八町の「浅野撚糸」が製造する、魔法のタオル「エアーかおる」です。

 生みの親は、テレビショッピングの番組に自ら出演し、商品の良さを発信し続ける「浅野撚糸」の社長・浅野雅己さん(60)です。

 大学時代を福島県で過ごした浅野さんは、今、福島の事が頭から離れません。

浅野さん:
「我々は工場作って、双葉を抱きしめてあげようみたいな。あの町に行って、町長とか被害にあった方々と話していたら、すごく自分がちっぽけにみえて」

 福島第一原子力発電所のおひざ元にある福島県双葉町は、10年前、津波と原発事故により「全町避難」となり町から人と生活が消えました。

 震災から9年経った2020年3月。ようやく町の避難指示が一部解除に。今、町は空白の時間を取り戻すように、急速に変化を始めています。浅野さんは、そんな双葉町に新工場の建設を発表しました。

浅野さん:
「日本の繊維技術ってすごい、世界一なんですよ。岐阜県の安八から発信をしていくのも大変。でも双葉はこれから全世界が注目する」

■町長「ネガティブな報道がポジティブに変わっていけば」…タオルの新工場に期待を寄せる

 2021年2月。岐阜の安八町の「浅野撚糸」で、浅野さんは双葉町の伊澤史朗町長とオンラインで話をしていました。浅野さんは、岐阜県に非常事態宣言が出ているため、長い期間双葉町を訪れることができていません。(2021年3月15日現在)

浅野さん:
「(工場の)着工は、早ければ7月か8月。一番大きな質問は、社員をこれから募集するんです。誰も住んでないのに来てくれるのか」


 浅野さんが心配する一方で、双葉町の伊澤町長は期待を寄せています。

伊澤町長:
「何より製造業が来ていただくことが、魅力的です」

 双葉町は今、2022年春の全面的な避難指示解除に向け、様々な事に取り組んでいます。伊澤町長は、これまで多かったネガティブな報道が、ポジティブな報道に変わっていくことを期待しています。

■復興の一翼担いたい…町と共同開発したタオルマフラーを「ダキシメテフタバ」と命名

 浅野さんは父親の後を継いで「浅野撚糸」の2代目となりましたが、会社は安価な海外製品に押され、業績は倒産寸前まで悪化していました。

 そこで生き残りをかけ取り組んだのが、誰にも作れない「唯一無二の糸」の開発。その糸で織られたタオル「エアーかおる」が大ヒットしました。2020年には、本社に隣接した販売店もできました。

女性客:
「汗取りもよくて、洗ってもふわっとしている」

別の女性客::
「フェイスタオルとか使っていて。よく吸いますよ」

 吸水力で多くの人を虜にするタオル。そんな「エアータオル」に去年、新しく仲間入りしたのが、双葉町と共同開発したタオルマフラーの「ダキシメテフタバ」(1個2200円)です。

 工場進出に先駆け販売を始めたこのタオルマフラーに、浅野さんは復興の一翼を担いたいと「ダキシメテフタバ」と名付けました。そして、このタオルには双葉町の強い思いが込められています。

伊澤町長:
「(浅野さんに)『フタバブランド』を立ち上げてほしいと。タオルの色は「フタバグリーン」。まさに双葉高校のカラーなんです」


 原発事故の影響で、現在は休校中の「福島県立双葉高校」は、甲子園に3度も出場した町の誇りです。タオルの色は、その双葉ナインの「グリーン」に。

 他にも日本の快水浴場100選に選ばれた「双葉の海(ブルー)」と、町の花である「双葉の桜(ピンク)」など、町民の誇りの色を選びました。

 もちろん、吸水性抜群の「魔法の糸」を使い、抗菌・防臭作用があるといわれる純銀の糸も織り交ぜました。

浅野さん:
「双葉の方々のアイデアを頂きながら…。首にかけると抱きしめられているようなイメージで。すぐに名前も浮かんできて」

 新工場ができたら、双葉で生産した糸を使い、「双葉ブランド」として売り出す予定です。

■新工場を建設する地区には木が一本も…タオルの売上の一部で植林を計画

「浅野撚糸」の副社長でもある、浅野さんの妻・真美さん。ロゴマークのモデルです。浅野さんから初めて話を聞いた真美さんは…。

真美さん:
「福島なんだって…。そんなに心配はしなかったです。最後の大冒険というか、大チャレンジになると思うので、頑張ってくれると思います」

 福島は浅野さんが大学時代を過ごした場所。しかし震災後は支援金を贈る事しかできず、もどかしい気持ちがありました。

浅野さん:
「町を見せてもらったのは、双葉だけだったんです。町長が立派だったのは、放射能を「この数値」って見せて『こんな町なんだけど来てくれるか』って」

 2019年7月に双葉町を視察した浅野さんは、「伊澤町長のその正直さに、この人とならうまくやれる。双葉町の人たちと共に『新たな町』をつくりたい」と思ったといいます。

 新工場を建設する中野地区には、木が一本も生えていません。そこで浅野さんは「ダキシメテフタバ」の販売で、ある仕掛けをしました。

浅野さん:
「森を作りたいと。我々は寄付するのじゃなくて、お客さんに買っていただいた一部を(森づくりに)まわさせてもらう」


「ダキシメテフタバ」の売上の一部を、森を作るための費用にまわす計画です。浅野さんは「タオルを購入したお客さんに、『皆さんの協力で、森ができましたよ』って言えるようにしたい」と話します。

 浅野さんと双葉町が紡ぐタオル…。新しい復興支援のカタチはまだ始まったばかりです。