9月20日、いよいよ開幕するラグビーW杯。前回のイングランド大会では“ラグビー途上国”の日本が、強豪の南アフリカを破り、「ブライトンの奇跡」と称された。

 その奇跡を知ったひとりのラグビーファンは、4年前に受け取った「奇跡のパス」を日本代表に、そして日本中に送ろうと、今回を含むW杯8大会に出場した22の国と3つの地域の最高峰の頂にラグビーボールをトライする旅に出た。

 愛知県春日井市の長澤奏喜、自称「世界初のラグビー登山家」だ。8月に富士山で最後のトライを終え、壮大な旅に終止符を打った。この企画ではその彼が、旅の喜びや苦労、そしてW杯への思いを連載で伝える。

■日本のW杯初戦の対戦相手「ロシア」の最高峰へ

 9月20日、日本で初めて開催されるラグビーW杯がいよいよ開幕する。この日、日本が対戦するロシア…最高峰はエルブルス山(5,642m)だ。僕がこの山頂を目指したのは今年7月、海外24カ国の最後の旅だった。

 この山は世界七大陸最高峰の一つで、ヨーロッパ大陸では最高峰として知られる観光スポットでもある。それまでの旅は現地で雇ったスタッフや同行してくれた知人と登ることが多かったが、今回の登山では、「単独」で挑んだ。

 その理由は「自分自身の登山をしたい」という登山家精神というよりも、ロシア語が読めず、現地のコーディネーターと接触するのが億劫だったという理由の方が強い。

 その一方で、最後の海外登山ということもあり、ほぼ初心者から登山を始めた僕がこのプロジェクトの2年半でいかに己が成長したのかを試してみたいという思いもあった。

 しかし、山にたどり着く前からトラブルが待ち受けていた。僕はロシアの直前に、ジョージアのカズベキ山(5,033m)に登頂していた。カズベキ山とエルブルス山は同じコーカサス山脈に属し、直線距離でもそれほどの距離ではなかったため、陸路で国境を越えようと直接向かったが…その読みが甘かった。

■「どこに泊まるのか?」…ロシア入りの国境でトラブル

 国境を超える人たちが、次々とスタンプを押されてロシア入りしていく。しかし、僕には担当者が全然押してくれない…。ビザを何度も虫眼鏡で調べられ、その表情が次第に険しくなった。相手は英語を話すことができず、僕はロシア語がわからない…コミュニケーションが取れない。

 僕は別の建物に移動させられた。そして担当者も変わったが、姿や格好がイカツイ。肩に星の入ったマークがあり、おそらく軍の関係者ではないだろうか。そこから長い詰問が始まった。

 ロシアに入国するにはビザの他にもバウチャーという招待状が必要だが、そこに登録されている宿が存在しない架空のものだった。

 ロシアでは個人旅行はメジャーではなくツアー旅行が一般的で、ビザの取得ために手続き上の書類でしかないバウチャーはあまり気にされないと聞いていた。自分が依頼した会社だけでなく、他の会社のバウチャーも書かれていることはだいたい適当であると聞いており、ここで出鼻を挫かれるとは思ってもいなかった。

「自分は山を登りに来ている」「決して怪しい者ではない」、僕が必死になって説明すると、担当者は「じゃあ、どこに泊まるのか?」と水掛け論が続く。

 国境付近はロシアの中でも辺境の地で、通信がなく、インターネットで他のホテルを探すこともできない。「自分はテントを持っているからどこでも泊まることできる」「むしろホテルには泊まらない」と粘り強く話すことで最後は事なきを得た。このやり取りの中で感じ取ったのは、ロシア人の、特に軍の人間の独特な威圧感だ。

 ロシアのラグビー代表は、軍を母体にしていると聞いたことがある。日本代表が勝つためには彼らの威圧感に臆することのない強い意志が必要かもしれない。

■身の危険を感じた少年との出会い…繋いでくれたのは“ラグビーボール”

 その後はジェスチャーと気合でバスを乗り継ぎ、ようやくエルブルス山の麓の町まで到着した。国境から3時間で着くとGoogleは教えてくれたが、27時間が経っていた。

 エルブルス山にはロープウェイと雪上車を使って登ることもできるが、初心貫徹。最後の海外遠征ということで、文明の利器には頼らず2,200mの麓町から山頂まで歩いていくことにした。

 その道中、3時間ほど歩いた標高3,000mあたりで、現地の少年たちと遭遇した。年齢は17~20歳くらいだろうか、“イリーガル”なものを持っていて、一目で不良少年であることがわかった。

 なぜ、こんな高所に不良少年が?との疑問もあったが、そんなことを考えている状況だとすぐに気づいた。広大な自然の中で身ぐるみ剥がしに来られたら…25キロの荷物を背負っていた僕は走って逃げることもできない。ところが、彼らが要求してきたのは僕の荷物ではなく、意外なものだった。

 旅で常に持ち歩いているラグビーボールの“パス”だった。

 世界どこでも子供は同じ、珍しいものがあると無垢な表情で好奇心を見せる。一安心して一緒に写真を撮ることにした。

■上半身「裸」でボクシング…標高3,900m、マイナス3度の高地で目を疑う光景

 標高3,900mに達すると視界に奇妙な光景を捉えた。上半身裸で、ボクシングのトレーニングをしているロシアの軍人男性だという。気温はマイナス3度だ。

 この3,900m地点は、ロープウェイの入口だ。出発から10時間かかってやっとここまでやってこれた。時計の針は午後6時を指していて、日は暮れかけていた。

 途中、何度か道に迷って大幅にタイムロスしたが、なんとか日が暮れる前に辿り着いて安堵した。夕日に染まったロシアの壮大な自然が疲れを癒してくれた。

 他の登山客は、ここにある宇宙船のようなコテージを宿にしているが、僕は登山許可書を取る以外は何もしていなかったので泊まることはできない。山小屋のオーナーに許可をもらって建物の隣でテントを張った。

 ここで3日間、高度順応を繰り返した。登山に詳しい人はわかると思うが、4,000mを超えるような高い山にどんどん一気に登れば高山病を引き起こす可能性もある。

 高山病が悪化し、肺に水が入ってしまった場合は、最悪、死に至ることもある。名だたる登山家でも命を落としたケースもざらにあり、念には念をおして最終日のアタックに備えた。

 その間、思いがけない出会いにも恵まれた。一人のアジア人がラグビーボールを持って3日も山小屋の隣に居座っている姿は、やっぱり他の登山客からすると奇妙に見えたようだ。

 朝食に誘ってくれる人や、コテージに呼んでくれる人もいて、ロシアの郷土料理であるボルシチや、ヒンカリをごちそうしてもらった。山で食べる食事は地上で食べるよりもおいしく感じるが、こうした出会いを通してありついた一皿は、格別の味に思えた。

 それまでロシア人は冷たいイメージがあったが、思い過ごしだった。個性は強いが皆良い人たちばかりだ。

■いよいよ頂上へ…海外最後の24回目のトライへ

 そして4日目。遂に山頂にアタックする日、4,500mまで高度を上げた。深夜2時に出発したが、気温マイナス12度だった。深々と降る雪の中を進んでいくと、他の登山客を乗せた雪上車のライトが僕を照らしていった。なぜか自分が刑務所から脱走している囚人のように思えて一人笑っていた。ちなみに日本の最北端の刑務所「網走」は、ラグビーの世界では合宿地のメッカだ。グランドの芝生と食事の評判が高く、今大会に臨む日本代表も網走を最後の合宿地としている。

 出発から3時間、午前5時。標高5,100mまで到達した。雪上車の停留所があり、ここからは皆、歩いて山頂を目指さなければならない。

 なだらかな傾斜が終わる頃、夜も明け、山の影が雲に浮かぶ幻想的な光景が広がっていた。

 エルブルス山の中で最も傾斜がきつい場所に到着。他の登山客が高度順応で苦しみ、速度が落ちるなか、僕は影響なく登ることができた。5,000m級の山々を直近の2ヶ月で3度登っていることが大きかったと思う。

■ロシアの最高峰へのトライ成功!9月20日は「きっと勝てる」

 そして午前7時、誰よりも早く山頂にたどり着き、24回目のトライ。

 とうとうこれで僕の海外遠征が終わった。そして、ボロボロになったラグビーボールに僕は目を向けた。初めはピカピカだったラグビーボールも、今となっては泥や紫外線で当時の面影もないが、1000人近くのラグビーファンとパスを交わし、2年半の間、共に旅をしてきた。

 日本代表がこれから戦う相手に前もってトライしたこのボールは必ずや日本代表を勇気づけ、勝利をもたらすものだと信じている。

「日本代表は、きっとロシアに勝てる」

 いよいよ9月20日、W杯初開催の地元で日本代表がヨーロッパの強豪、ロシアと対戦。僕のトライの祈りが日本代表に届くよう、願っている。


■長澤奏喜(ながさわ・そうき)プロフィール

1984年10月、愛知県出身(大阪生まれ)。愛知県立明和高校卒業後、慶應義塾大学理工学部を経て、大手IT企業に就職する。在職中にジンバブエでの青年海外協力隊でジンバブエを訪れた際に、世界におけるラグビーW杯の熱を肌で感じる。2016年に退社し、2017年3月、世界初のラグビー登山家となり、2年半で過去W杯に出場した25カ国の最高峰にラグビーボールをトライする、# World Try Project に挑戦。2019年8月27日、日本の富士山で、25カ国すべてのトライを達成。

長澤奏喜HP「I am Rugby Mountaineer」(僕はラグビー登山家)

サイトURL
https://www.worldtryproject.com/